今回は、外鎌山(とかまやま、292.5m)を登ります。その後、忍阪奥の谷から第32代崇峻天皇の「倉橋柴垣の宮」及び磐余稚桜宮(いわれわかざくらのみや)伝承地と、桜井に置かれた宮都をめぐる14qを歩きます。
外鎌山は登山口から山頂まで急坂が続き、下りも急坂がありますので、ウォーキングステッキを使用されている方は必ずご持参ください。

外鎌山…大和朝倉駅の南、美しい三角形をした山で、忍阪山又は朝倉富士とも呼ばれています。左手に三輪山を見ながら登山口へ向かいます。登山口から30分ほどで山頂に到着しますが、竹林の道の急坂が続きます。頂上からは奈良盆地を一望できる大パノラマが広がっています。天気が良ければ、遠くに金剛山・葛城山、二上山が見え、大和三山に鳥見山など素晴らしい眺めが楽しめます。
途中、14世紀に南朝の忠臣・玉井西阿(たまいせいあ)が築いた外鎌城址があり、山頂には西阿の墓碑があります。
忍阪奥の谷の陵墓…外鎌山の急坂を下ると奥の谷に着きます。まず、欽明天皇の皇女である大伴皇女押坂内墓に向かいます。次に藤原鎌足の正室である鏡王女押坂墓を過ぎ、第34代舒明天皇押坂内陵に向かいます。この陵は三段の方形壇の上に八角形の墳丘が築かれた、わが国初の八角形墳です。
倉橋柴垣の宮…昼食場所の倉橋ため池ふれあい公園を過ぎ、高齢者総合センターに向かうあたりに第32代崇峻天皇の倉橋柴垣の宮がありました。蘇我馬子の後押しで天皇になりましたが、馬子の傀儡であることに不満を持ち、「馬子を殺したい」と言ったことが馬子の耳に入ると即座に馬子により殺されてしまいます。その日のうちに倉橋岡陵に葬られました。しかし、石位寺とふれあい公園の途中にある赤坂天王山古墳が崇峻天皇の真陵だとする説が有力です。
稚櫻神社…履中天皇が磐余池に船を浮かべて遊んでおられたとき、天皇の盃の中に桜の花が散って入ってきました。この花は今咲く時節でないことに不思議に思い、天皇は家臣にどこから落ちてきたのか探してくるようにと命じられ、見つけ出して献上したところ天皇は大変喜ばれ、この宮を「磐余稚櫻宮」と名付けられました。それがこの神社の由来とされています。西へ300mほど行くと橿原市教育委員会の「磐余池堤跡」の案内板が立っています。しかし、発見された堤跡が「磐余池跡」なのかどうかについては異説があります。