今日は、第2回定期総会を「奈良県社福祉総合センター」で10時から開催、第1号議案(平成28年度事業報告)から第6号議案(平成29年度予算案)までの議題について6議案すべて承認され無事終了しました。
その後、奈良県ウオーキング協会会長賞として、当協会発足以来の例会総参加回数が100回以上の14名の方を対象にした「通年表彰」を、また、平成28年開催すべての例会に参加された9名の方を対象とした「マスターウオーカー賞」を、又、年間12回以上参加された「ベストウオーカー賞」108名も併せて表彰(今後の例会等で順次表彰)を行いました、今後の会員皆様の励みとなったのではと思います。

11時30分頃総会が終了、その後早い目の昼食を摂り、ウオーキングは社福祉総合センター前でコース説明とストレッチ体操の後、参加者111名は薄曇りの中12時30分にスタート、最初に訪れたのは畝傍山北東の麓に位置する、南北約115m・東西約130mの方形に濠を巡らせた壮大な「神武天皇陵」へ進み参拝、「神武天皇」は日本の初代天皇とされる神話・伝説上の人物で、「日本書紀」では、九州の日向(宮崎)地方から瀬戸内海を東に進んで難波(大阪)に上陸、その後、熊野を回り、3本足の「八咫烏(やたがらす)」に導かれ、吉野の厳しい山を越えて大和に入り、大和地方を平定し、紀元前660年1月1日に橿原宮で即位したとされています。
綺麗に整備された玉砂利が敷き均された御陵の参道を後にして、橿原森林遊苑に入り「若桜友苑」へ、この友苑は戦没者の霊を慰めるため整備された慰霊公苑で、海軍の甲種飛行候補生十三期の慰霊碑と、航空母艦瑞鶴の碑が建立されていて、綺麗に整備された芝生広場の正面には、畝傍山が目の前に迫り、西端の「絆の錨」が建立されている登山口から上りはじめました。
山道は途中から、急峻な上り道となり木の根が階段状になった所や、岩肌が剥き出た道を、息急き喘ぎながらゆっくりと上り進み20分程度で無事山頂に到着、曇り空の西側遠くの景色は金剛・葛城山や二上山の山々を望み癒されながら暫しの休憩タイムを取りました。

休憩後は、足取りも軽く山道を下り畝傍山西麓に鎮座する「畝傍山口神社」へ、ここで尾花スタッフにより、この神社にまつわる話を、元元この神社は文安3年(1446年)「五郡神社誌」に当時は畝傍山の西麓にあったとされているが、天正3年(1575年)の「畝傍山古図」では頂上に社殿が描かれていて、この間に山頂に遷座されたことが明らかとされている(山頂には「畝傍山口神社社殿跡」の碑が立っていました)、現在の社殿は昭和15年皇紀2600年祭で、橿原神宮や神武天皇陵を見下し神域をけがすという事で当局の命により、山頂から現在の位置へ下山遷座したとの事・・・等々の話を、今は、安産の守り神として信仰を集めています。
神社を後にして、西へ進み大谷町の集落を通り過ぎる頃から風が強く吹く中を「橿原運動公園」に入り、ここでトイレと列詰め休憩を取りまして、次に、田園風景が広がる慈明寺町の高取川沿いの桜並木の堤防道路を北へ歩みは進み、「大和高田バイパス」高架下をくぐり、寺田町交差点から県道を北に進み、五井町から今井町に入りました。
今井町は、1993年(平成5年)に「重要伝統的建造物群保存地区」として選定され、江戸時代の町並みが残ることで全国的に知られています。
自衛のために周辺に濠と土居をめぐらし、敵の侵入に備えて見通しがきかないように道路を屈折させるなど、城塞都市の形態が整えられ、東西600m、南北310mの環濠集落となりました。
現在も大半の町家が、切妻造・平入・前後庇付本瓦葺(または浅瓦葺)を基本とする当時の伝統的様式を保たれ、1650年(慶安3年)築の今西家をはじめとする重要文化財の町家が8棟、県指定文化財の町家が2棟あります。
また今井町は称念寺の寺内町として発展し、国の重要文化財に指定されている本堂は、いたみが激しいため平成30年3月に完成を目指して、現在保存修理中です。
その様な景観に配慮し整備された美しい町並みの今井町を後にして、飛鳥川沿いを北に進み、近鉄・大和八木駅に15時頃ゴールしました。
今日は、午前中の定時総会から午後のウオークと続きましたが、全体的には遅れもなく順調にウオークが出来ました、有難う御座いました。