近畿地方が梅雨入りと7日に宣言があり、その後は梅雨の長期休暇で晴れ間が続きウオーカーに取っては結構な日々が続いています。
今日も朝から晴れ渡り爽やかな風を受けながら、ファミリー公園前駅を参加者181名は元気にスタートしました。
緑に覆われた、奈良県浄化センター公園内の通路から大和川(初瀬川)右岸の沿いの自転車道を西へ歩み、「かわくぼ橋」を南へ渡って田圃には早苗が植えられたのどかな田園風景が広がる川西町結崎地区へ入り、結崎工業団地を抜け寺川の梅戸橋を渡り川西町唐院に所在する、全長約190mの大型前方後円墳で国史跡の、鬱蒼と緑に包まれ濠に浮かぶ「島の山古墳」を望みながら、川西町結崎に鎮座する森に囲まれた、現在、修復中の赤い鳥居をくぐり「糸井神社」へ進みました。
「糸井神社」では宮司さんのお出迎えを受け、その宮司さんのお計らいで、拝殿を開放していただきました。
その拝殿内に奉納されている絵馬の解説を受けながら多くの参加者は興味深く拝見せていただきました。
天保13年(1842)と銘のある「太鼓踊り絵馬」の大絵馬は、百人余りの人々が隊列を組んで、太鼓踊りしている図で、絵の右下には、スイカを屋台で切り売りしている姿が描かれて、大和平野のスイカ栽培の歴史がうかがえる珍しい絵馬や、慶応4年(1868)の「おかげ踊り絵馬」は伊勢神宮に向かう「おかげ参り」の様子が描かれ、その他「武者絵馬」等、数々の絵馬が今も鮮明な形で保存されていました。

神社を後にしてすぐ南側の寺川の宮前橋を渡り寺川左岸堤防下に「面塚(めんづか)」と「観世能発祥之地」の碑が建立されている「結崎面塚公園」を巡り、斑鳩の宮から飛鳥京を結ぶ、聖徳太子の往来の道「太子道」へ進み、「白山(はくさん)神社」へ、境内には聖徳太子が腰を掛けて休憩したと伝えられる「腰掛石」や愛馬・黒駒に乗る聖徳太子像を見て回り、次に、川を挟んで向かい側に鎮座する、拝殿には「伊勢大神宮へのおかげまいり」の絵馬が奉納されている「杵築(きつき)神社(屏風)」に参拝、境内には、三宅町の花(万葉の花)「あざさ」が数個の大きな水鉢に栽培されていて、黄色の五弁の可憐な花に見入っていました。
休憩後、「太子道」を暫く南へ進み、屏風地区集落の南端の水路沿いの道を、所々で咲く草花に癒されながら西へ歩を進め、伴堂地区に入り早苗が植わった水田が広がる中に位置する「三宅中央公園」に11時40分頃到着し、昼食休憩を摂りました。
昼食後、三宅町の33歳と若い森田町長や「あざさの花普及推進部会」の佐々木会長、及び、屏風地区で生まれた鎌倉時代の高僧「忍性」の顕彰活動をしている「忍性さんの会」の沖本会長から夫々歓迎の挨拶を受け、「あざさの花普及推進部会」からは30鉢の「あざさ」の苗を提供していただき、参加者30名に抽選で授与いたしました。

午後は、セレモニー終了後12時30分頃、中央公園を出発、三宅町役場前を通り、万葉学者の犬養孝氏が揮毫した「三宅の原」を詠んだ万葉歌碑が建立された街園へ、多くの「あざさ」が植栽されていていますが、残念ながらこの時間帯では花は萎み花弁は見ることはできませんでした。
そこから再び「太子道」を南へ進み、田原本町黒田地区内の「桃太郎伝説発祥の地」と言われる「法楽寺」へ入り、隣接する三宅古墳群の南端に位置する、全長86mの前方後円墳「黒田大塚古墳」へ、暑い日差しが射す中、墳丘の周りは公園のように整備されていて、その木陰で若干のトイレと列詰め休憩を取りました。
その後、列は「孝霊神社」前を通り、さらに田園風景が広がる中の「太子道」を整然とした長い列は、宮古・保津地区を南へ歩み、薬王寺地区から東へ進んで近鉄・田原本駅前に、少し早めの13時40分頃ゴールしました。
今日は、日中の気温は30℃前後と暑い一日でしたが、熱中症等の事故もなく無事完歩されました、お疲れ様でした。