昨日9時頃、九州地方に上陸した台風3号はスピードを速め、紀半島南部に18時頃再上陸して東海方面へ抜けて行き、その後も台風の影響で、梅雨前線が停滞し今朝も雨模様の最悪な状況となりました。
不安定な天候にもかかわらず94名の参加者を迎え、幸いにもスタート前には雨も止み、雲間からは少し日差しが射す中、出発式では大和高田市役所企画広報課長の増田様から歓迎のご挨拶を受け、又、大和高田市のマスコットキャラクター「みくちゃん」が印刷された「うちわ」のプレゼントを頂き、9時50分頃元気にスタートしました。
最初に訪れたのは、片塩小学校南側の小公園になっている「高田城址」へ、遺構はありませんが、案内板と石碑が建っていて、それらを見ながら、最古の国道「横大路」を東へ進みました。
JR・桜井線をくぐり葛城川へ、薄日が射す蒸し暑い中、川沿いの自転車道を北へ約1km進み橿原市松塚地区に入り、近鉄・松塚駅を過ぎて間もなく心配された雨が降り出し、急いで傘を開き、又は、合羽を羽織って雨中行進、間もなく中和幹線に出て東へ進み中曽司町の曽我川東側の森に鎮座する、祭神は「初代神武天皇:神日本磐余比古命(かむやまといわれひこのみこと)」の「磐余(いわれ)神社」へ進み、この頃、雨も止み小康状態となりました。
薄日が射す中、拝殿前で尾花スタッフから神社本殿の建築様式が異なる話題を、まず、「春日造(かすがつくり)」について、その様式は切妻造の社殿の正面に庇(ひさし)がつけられ、左右の屋根を反らした特徴のある造りで、この「磐余神社」の本殿は一間社「春日造」で、近畿圏に多く分布していて、奈良「春日大社」の本殿が代表とされる様式で、大きいものになると三間社や、2・3棟が連なった本殿もあります。
又、本殿の前方の屋根が反りながら伸び庇となった形式で、側面から見た屋根の形状は左右対称形ではなく、正面側の屋根が長く伸びた優美な曲線造りの「流造(ながれつくり)」様式があり、全国に広く分布していて代表例では、京都下鴨・上賀茂神社がある等々を、興味深く拝聴いたしました。
神社を後にして、曽我川沿いを南へ進み、11時20分頃曽我川緑地公園に到着、公園内にある施設の緑地体育館の階下をお借りして昼食休憩を摂りました。

午後は緑地公園を12時に再び降り出した小雨の中スタート、暫くして、曽我町に位置する近鉄・真菅駅南西側の森に囲まれて鎮座する「宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社」へ、通称「入鹿宮(いるかのみや)」ともいわれ、古代豪族の蘇我氏に関係する神社として知られていて、この神社の本殿の建築様式は「流造」で、本殿を確認する参加者も多く見受けられました。
神社から緑の早苗が広がる水田や、前方の畝傍山を望みながら約500m南へ、再び曽我川沿いの道路を進み、忌部町に鎮座する「天太玉命(あめのふとたまのみこと)神社」へ、古代氏族の忌部氏(いんべうじ、斎部氏)の祖神として知られ、因みに、この神社の本殿は「流造」で、その両脇には「春日造」の境内社が建っていました。
雨も小降りとなり、国道165号を東に進み五井交差点を経て、伝統的建造物群保存地区の今井町に入り、江戸時代の町並みが残る美しい建物を眺めながら「今井町まちなみ交流センター・華甍」に到着、ここで列詰めトイレ休憩後、飛鳥川を辿り、本日のメーンである「おふさ観音・風鈴まつり」観賞へ、その「おふさ観音」の由来は、土地の娘の「おふさ」さんが、池の辺りを歩いていると白い亀の背中に乗った観音様が現れ、そこで、この池に小さなお堂を建て、その観音様をお祀りしたのがお寺の由来だといわれています。
又、「風鈴まつり」は2003年から始まり、大和の夏の風物詩として広く知られ、7月1日から2か月間にわたり、境内に2,000個を超える風鈴が飾れています。
「おふさ観音」に着いた頃には、雨も上がり参加者は風鈴の涼やかな音色に癒されながら、約20分間の自由時間を思い思いに、境内に吊り下げられた数々の風鈴飾りや本堂及び、鯉の池・亀の池等、広い境内を散策していただき、「おふさ観音」を後にして、13時50分頃JR・畝傍駅にゴールしました。
今日は、風鈴の音色もさることながら、一方では各神社の本殿の違いに注目してのウオーク、いかがでしたか、時々小雨が降る蒸し暑い一日でした、お疲れ様でした。