春は桜花で賑わう世界遺産吉野山ですが、今年も早や12月に入り、紅葉の見ごろも過ぎた初冬の静かな吉野路をウオーキングいたしました。
今日も冷え込む朝を迎え、駅前で恒例の出発式を終え参加者134名は吉野山ロープウエイ右側の急な上りの山道から、つづら折れの約800mの七曲坂の舗装道を、既に枯葉も散った桜の木々の中を元気に上り進み、ロープウエイ吉野山駅前で列詰めとトイレ休憩を終え、この先、旅館や飲食店、土産物店などが並ぶ緩やかな上り道を進み、金峯山寺の総門である重厚な切妻屋根を持つ高麗門造りの「黒門」をくぐり抜け、さらに進んで十数段の階段を上り、高さ8.2mの巨大な「銅鳥居(かねのとりい)」へ、この鳥居は、聖武(しょうむ)天皇の東大寺大仏建立の余銅でもって造立されたとの伝承があり、銅製の鳥居としては現存最古のものとされていて、安芸の宮島の木の鳥居、大阪四天王寺の石の鳥居と並んで日本三鳥居の一つとされています。
その「銅鳥居」から少し進んで、目の前に現在、大修理中の荘厳な国宝「金峯山寺・仁王門」が、30数段の階段を上り仁王門をくぐり抜け国宝「金峯山寺・蔵王堂」へ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築で、巨大な蔵王権現像三体(重文)が祀られていて、吉野山のシンボルである修験道の総本山で、ここで暫しの休憩を取りました。

「蔵王堂」を後にして、さらに飲食・土産物店が並ぶ道から少し路地に入り進み「吉水神社」へ、この神社の主祭神は、後醍醐天皇、楠木正成で、豊臣秀吉が花見の本陣とした等の歴史的逸話で知られていて、リーダーからその豊臣秀吉が徳川家康や前田利家を始め総勢5,000名の大名や家臣達を連れて花見を行った等々の面白おかしい逸話を聞き、又、境内からは桜の頃は一目千本の素晴らしい景色をイメージしながら、今は紅葉が終わった中千本の風景を眺め、次に訪れたのは2001年に社殿が焼失した「勝手神社」へ、義経と別れた静御前が捕らえられ境内で舞をさせられた舞塚があり、その境内を通り抜けて急な坂道「宮坂」を上り進み「竹林院」前を通過して「林道・奥吉野周遊ドライブウエイ」入口で列詰め休憩を取りました。
この時期通過交通の少ない、杉や檜の山林の中を縫うように走る「周遊ドライブウエイ」の緩やかな上りの坂道を、離れ離れになった長い列は約2.5km進んで「周遊ドライブウエイ」と「吉野水分(みくまり)神社方面」へ行く分岐点に、ここで列詰め休憩を取りました。
そこから更に、上りの急な山道を約600m進み坂道も終わり、一般道に出てほっと一息つきながら、少し坂道を下ると、桃山時代の美しい建築の社殿が残る「吉野水分神社」に到着。
この神社は吉野町子守地区(上千本)に鎮座し、社殿は豊臣秀頼が再建したもので、楼門をくぐると左手に拝殿、正面には幣殿《へいでん:参詣者が幣帛(へいはく:神に奉献する供物の総称)をささげる社殿》が、又、右手石垣の上には、三殿一棟造りの本殿があり、境内の中心が中庭のような珍しい神社で、又、「みくまり」が「御子守」となまって俗に子守さんと呼ばれ、子宝の神として「子守明神」とも呼ばれています。
神社境内の社殿を廻り進み神社を後にして、少し下って「花矢倉展望台」に12時頃到着、ここで昼食休憩を摂りました。

この展望台は、吉野山では特に眺めが良いスポットで、眼下には上千本、中千本から金峯山寺の蔵王堂を望み、遠くは、金剛・葛城・二上の山々を眺望し、吉野山全体を見渡せる絶景の大パノラマに感激しながら昼食を摂りました、が、この場所は標高が約600mの高台で吹きさらし状態の中、気温も下がり寒さに震えながらの昼食となりました。
午後は、12時45分に「花矢倉」を出発、一般道から視界が開け眼下の景色を望む山沿いの狭い道に入り、時には雑木林の中の石段や地道を下り進み、宮滝方面から続く「近畿自然歩道」へ、小さなお堂に祀られた「稚児松地蔵堂」から、更に、大小の石が敷き詰められた急な下りの狭い石畳の坂道を慎重に一歩一歩進み、やがて視界が開け山沿いの緩やかな下りの山道に出て、今は葉もない桜の木々の中を進み、時には左手に蔵王堂等を望みながら、県道脇の公衆用トイレ前広場に進み、ここで列詰めとトイレ休憩を取り、広場脇の階段を下り「如意輪寺」へ、この寺は「後醍醐天皇」の勅願寺で、寺の裏山には「後醍醐天皇御陵」があり、又、南北朝時代の武将楠木正行(まさつら)が、辞世の句を鏃(矢じり)で扉に刻んで出陣し壮絶な最期を遂げた、その扉が今も残されている。
「如意輪寺」境内を通り、長い階段を下り進んで、狭い山道から一般道路に出て、吉野温泉元湯から温泉谷の緩やかな道を下り進み14時頃、吉野駅に無事にゴールしました。
今日は、日中は冷たい風も吹きましたが天候にも恵まれ、全体としてアップ・ダウンの厳しいコースではありましたが、参加者の皆様は元気にウオーキングされました、お疲れ様でした。