昨夕から降り出した雨も、幸いにも早朝には止み曇り空の中、参加者149名はJR・郡山駅前を9時45分頃スタート、間もなく郡山城外堀跡を綺麗に整備された外堀緑地公園に入り、公園を経て道路の中央に「紺屋川」が流れる紺屋町の通りを西へ進み、郡山市役所前から城見町に入り郡山城址南側に位置する「鶯池」沿いの新緑のトンネルをくぐり、郡山城主柳澤家の菩提寺「永慶寺」から城南町地区を経て郡山市街地を後にして長い列は西へ進み、富雄川に架かる外川橋を渡り、正面には新緑の青葉・若葉が映える矢田丘陵を望み、国立「奈良高専」前から西側を経て矢田丘陵の東部に位置する「大和民俗公園」に到着、南入口に入ってすぐの多目的広場でトイレ休憩を取りました。

休憩後、公園北側廻りの園路進み、小さな実が付き始めた梅の「みんぱく梅林」及び「菖蒲園」から「里山・東」地区へ、この地区には、数日前まで咲き誇っていた八重桜「関山」の品種で「サトザクラ」が残念ながら昨夜の雨で花びらがほとんど散った桜並木を通り、新緑に覆われた「里山・北」地区を経て、北入口から民族公園を後にして、山里風景が広がる矢田町地区の北西部方面へ進み、のどかな山里の点在する集落内の狭い緩やかな上りの道からやがて「矢田丘陵」の山道へ、「子供の森・矢田自然公園」の案内を見て、杉・檜や雑木林が覆うコンクリート舗装の急な狭い上り道を十数分息急き喘ぎながら進み、やがて緩やかな道に出て小休止を取り、更に山道を進んで矢田自然公園の「峠池下池」の高い堤が目の前に現れ、緩やかな上りの池の堤下沿いを廻り進み「峠池上池」に出て県立「矢田自然公園(子供の森)」に11時50分頃到着、周囲の新緑に囲まれた芝生広場で、満開の藤棚の下や東屋等、思い思いの場所で昼食休憩を摂りました。

午後は12時30分「子供の森」を後にし、暫く進んで警察犬訓練所を左上に見て国道308号に入り、ここから、この道は「暗越(くらがりごえ)奈良街道」と呼ばれ、大坂(難波)から生駒山地の暗峠を超えて奈良(平城京)に至る旧街道で、雑木林や竹藪が生い茂る街道の緩やかな坂道を下り進み、奈良市中町の西南端に位置する集落へ、その集落に鎮座する「追分(おいわけ)神社」前から更に下り進んで、「追分本陣・村井家住宅」前へ、ここが大和郡山との分岐点であるため、追分の本陣と呼ばれています。
この建物は、19世紀の初めから中期ごろに建てられ、茅葺きと浅瓦葺きを組み合わせた屋根の大和棟形式で、奈良市内では珍しい宿場建築として貴重であるとして、市の文化財に指定されています。

旧街道の角地に建つ「村井家住宅」からは視界が開け、東前方遠くに奈良市街地や若草山など大和青垣の山々を眺望し、又、その目の前の斜面には2010年頃までは「追分梅林」として4千本の見事な梅の木が咲いていたようですが、突然の土壌悪化により大半の木が枯死し、現在はその往時の梅林の復興を目指して金網に囲まれていていますが、そこから旧街道と別れ梅林の西側の一般道路を北方面へ進み、第二阪奈有料道路の上に架かる橋を渡り、雑木林の中を下り進んで、富雄南小学校前から富雄川を渡り北方面へ、千代ヶ丘住宅団地南側に隣接する中町地区の小さな森の中にひっそりと鎮座する「大倭(おおやまと)神宮」前から、すぐ近くの鬱蒼とした緑に覆われた人斬山の南端に鎮座する「大和国鹿島・香取本宮」へ進み参拝を済ませ、この神社の主祭神である「鹿島神・香取神」等々にまつわる説明をスタッフから受けながら休憩を取りました。
尚、この神社は氏子と言うものがなく、参拝者だけで成り立つ単立神社で、又、境内には珍しく2頭の白い神馬(香取号と鹿島号)が飼われているようですが、今日は香取号のみが厩舎に繋がれていました。
神社を後にして、高台の千代ヶ丘住宅団地の南端に位置する住宅内道路を西方面に下り進み富雄川東岸に出て、県道7号の中町交差点を北に方向転換し、富雄川左岸沿いの県道を北へ約2q進み、13時50分頃近鉄・富雄駅に参加者全員無事元気にゴール、新緑に覆われた矢田丘陵を楽しくウオーキングしていただきました、ありがとう御座いました。