今回の例会は矢田丘陵を縦断するコースで、矢田寺から松尾寺を経て平群の里まで歩きました。
先般30日、県東南部を通過した台風24号に続き、又もや、25号が近づき、その影響で不安定な天候状況の中、残念ながらいつもより少ない105名(内スタッフ21名)の参加者を迎え、降らないと思っていた雨が、出発式開始直前から土砂降り状況で最悪となりましたが、雨足が少し治まった9時50分頃、合羽や傘の列は雨をも物ともせず、大和小泉駅を元気にスタートして北方面へ、小泉の里から富雄川に進み県道9号の小泉交差点へ、北東角には、京都の真言宗醍醐寺派三宝院末寺の「不動院」が、明治以前は山伏寺で、松尾寺へ上る修験者の取り締まりを行ったという、その「不動院」を後にして、小泉町や西田中町地区の大規模な住宅団地内へ、団地内へ入って間もなく、スタートして約30分過ぎて、雲が切れ青空が広がり雨も止み、ほっとした参加者は足取りも軽やかになり住宅団地内を通り抜け、「大和郡山市総合公園」へ、色付き始めた公園内のイチョウ並木を通り、多目的体育館「金魚スクエア」前で最初の休憩を取りました。

公園を後にして、田園風景が広がる目の前には、雨上がりで濃い緑も鮮やかな矢田丘陵が、その丘陵の中腹に建つ「矢田寺」を遠望し、そこを目指し緩やかな上りの県道189号を進み、門前町に入ると上り坂は急となり、やがって「矢田寺・山門」に到着、そこから急な約220段の階段を、息せき弾ませながら上り進み参道へ、「矢田寺」の塔頭(たっちゅう)の一つ「大門坊(だいもんぼう)」前を通り、ひと際大きい石仏「みそなめ地蔵」と並ぶ、多くの小さな石仏を眺めながら進んで、さらに数段の階段を上り「本堂」前へ、ここで暫しの休憩を取りました。
「矢田寺」は、寺伝によれば天武天皇の勅願により天武天皇8年(679年)に智通(ちつう)僧正が開基、当時、僧坊48を数える大寺であったが、現在は、矢田寺北僧坊・大門坊・念仏院・南僧坊の4つの僧坊を総称して「矢田寺」と呼ばれ、また別名「あじさい寺」ともいい、6月から7月のシーズンを迎えると境内には約60種10,000株の紫陽花の花が咲き乱れます。
休憩の後、「矢田寺北僧坊」から山道へ、四国88ヶ所霊場を模した「ミニ霊場」の「矢田寺88ヶ所遍路」の88番札所(結願)から数番の札所の石仏を眺めながら「いやしの散歩道」の「近畿自然歩道」を杉・檜林や雑木林及び竹林等の山中の、厳しい上り下りが続く山道を、列は離れ離れになりながら約2.5q進み「国見台展望台」に到着。
晴れ渡った空の眼下には、奈良盆地を一望、北方面には奈良若草山を、正面の東方面には竜王山を始めとして大和青垣の山々を、南方面には大和三山等々を望み、その大パノラマの素晴らしい景色を堪能しながら一休みしました。
展望台を後にして、更に、杉や雑木林の中の狭い山道等を約1q下り進み「松尾寺」に先頭は12時20分頃、アンカーは十数分遅れで到着。

「松尾寺」は、日本最古の厄除け霊場で、養老2年(718年)に「天武天皇」の皇子「舎人親王(とねりしんのう)」によって創建されたと伝わり、「厄除け観音」として本尊木造千手観音立像(秘仏)が名高く、厄除祈祷の大本山です。
境内には本堂(重要文化財)をはじめ、三重塔、行者堂、七福神堂、阿弥陀堂などが建ち並び、その境内で、時折、参加者が打つ鐘の柔らかな音色を聞きながら昼食休憩を摂りました。
休憩後、13時20分頃、三重塔への急な石段を上り進み「松尾寺」を後にして山道に入り、竹藪や雑木林の山道を約800m下り進み、山間に位置する斑鳩町の隠れ里と言われている集落の「白石畑(しらいしはた)地区」に出て「安楽寺」前で、遅れた列を待つ休憩を取り、その集落から西へ山間に田畑が細長く続く山里へ、その途中は珍しいイノシシ等の害獣除け用に設置された装置が通るたびに、けたたましい音が鳴り響き、人間様も驚くほどの音声を耳にしながら農道を進み、再び雑木林が生い茂る下りの山道に入り、先般の台風24号の爪痕が残っている、倒木や多くの枝葉で荒れた山道を、倒木の下をくぐったり、跨いだりしながら慎重に進む途中の道沿いには、小さな可愛い千手観音の石仏に癒されながら約1qの山道を抜け、平群町三里地区の里山に出て菊畑や田畑が広がる集落内を暫く進んで、ゴールの近鉄・平群駅に、先頭は14時20分過ぎ、アンカーは十数分遅れで到着しました。
今日は、出発時に予想もしない降雨がありましたが、幸いにも雨も早くに上がり、青空が広がりました、しかし、夏日の様に気温が上がり蒸し暑い一日でしたが、参加者の皆様は無事15qを完歩されました、お疲れ様でした。