今回の例会は、飛鳥の東方にそびえ、桜井市南部に位置する多武峰(とうのみね)の山中にある「談山神社」を訪れ、「秋の蹴鞠祭り」を見学し、多武峰から明日香路を巡り、古代道路「磐余の道」から桜井駅までウオーキングしました。
参加者136名を迎え、9時45分発の奈良交通の路線バスで終点の「談山神社」へ移動、停留所広場で出発式の後「談山神社」に入山して、12時30分まで自由行動としました。
「談山神社」は、大化元年(645年)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)が、この多武峰で「大化の改新」の談合を行ったことから、後に「談い山(かたらいやま)」と呼んだことから「談山神社」と名付けられました。

10時30分頃、紅葉が色付き始めた境内に入り、目の前の急な石段140段を上り進み、本殿や拝殿など、重要文化財に指定されている多くの華麗な社殿等々を見学。
特に、藤原鎌足公が祀られている本殿全体は極彩色模様や、花鳥などの彫刻によって装飾されていて、日光東照宮造営の際の手本となったことでも有名です。
又、神社のシンボル的な存在の木造十三重塔は、塔としては世界唯一のもので、高さは約17m、屋根は檜皮葺で、周囲の色付き始めた紅葉の中の十三重塔は、見惚れるほどの美しさでした。
次に、「蹴鞠祭り」は藤原鎌足が飛鳥法興寺(現・飛鳥寺)の蹴鞠会(けまりえ)において中大兄皇子と初めてまみえ「大化の改新」の発端となった故事にちなんで、毎年、春は4月29日(昭和の日)と秋の今日、11月3日(文化の日)に行われる雅な祭りで、11時に、本殿に於いて、「鞠」と「蹴鞠保存会」の皆様はお祓いを受けた後、11時30分頃「蹴鞠の庭」で、多くの見物客の中、古式ゆかしい装束の保存会の皆様により、鹿の皮を縫い合わせて作った白い鞠を「アリ」や「オウ」の声を掛けながら、優雅・華麗に鞠を蹴る脚さばきに歓声の声も上がり、約30分の「鞠蹴り」を見学、十分に楽しみ堪能しました。

「蹴鞠祭り」後、参加者各自は昼食を済ませ、12時30分「談山神社」から「西大門跡」を後にして、多武峰の林道を西へ歩みを進め、暫く雑木林に覆われた林道を進んで、林道から少し逸れて無数の石塔が並ぶ坂道を上り、急な石段を上った場所に、平安時代の高僧で、比叡山の修行を終えて多武峯に入山したと言われ、多武峰中興の祖「増賀(ぞうが)上人の墓:念誦崛(ねずき)」へ、この墓は珍しい石組のお墓で、高さ約2mの2段積みの円形の墓で、円の直径が約4mの大きさで、先端には元々「南・無・増・賀・上人」と刻んだ五輪塔があったとの事です。
「念誦崛」を後にして、さらに林道を西に進み、約1.5qの林道と別れ、緩やかな下りの道が続く地道の尾根道に入り、路傍の三体の小さな石仏を見ながら、綺麗に枝打ちされた杉や檜林の尾根道を約1q進み「藤本山」の頂上へ、広く整備された見晴らしの良い「万葉展望台」に到着。
眼下には明日香・甘樫丘や畝傍山が浮かぶ大和盆地を一望、その向こうは美しい金剛・葛城山や二上山から生駒山の山並みが、更に、遠くに微かに見える大阪「あべのハルカス」を眺望し、180度のパノラマ風景を楽しんでいただきました。
展望台を後にして、狭い急な下りの雑木林が覆う山道を一歩一歩慎重に約1.2q、列は長く離れ離れになりながら下り進み、やがて視界が開け、ほっと一息つきながら、葡萄畑等が植わる「東山地区」集落に出て、前方の金剛・葛城の山々を眺望し、「藤原鎌足生誕地」の「小原の里」から「飛鳥坐神社」へ、この神社は、子授けの神として信仰を集めていて、毎年2月第1日曜に催される「おんだ祭」は奇祭として有名で、ここで、トイレと後続の遅れを待つ列詰め休憩を取りました。

休憩後、体力に自信の無い数名と別れ、「飛鳥地区」の田園地帯をしばらく東へ、前方には先程下り進んできた多武峰を望みながら「弘計皇子(おけのみこ)神社」前から明日香村を後にして桜井市「山田地区」に入り、国の特別史跡の古代寺院「山田寺跡」に進んで、小休憩を取りながら、飛鳥から桜井に至る、古代道路「磐余(いわれ)の道」(県道15号)を、緩やかな下りが続く歩道上を広がる田園風景や前方の三輪山や大和青垣の山々を望みながら約2q進んで桜井市市街地に入り、御本尊が「三人寄れば文殊の智恵」の格言で有名な文殊菩薩が祀れている「安倍文殊院」に到着。
参拝や境内のコスモスの迷路等を見ながら、最後のトイレと列詰め休憩を取り「安倍文殊院」を後にしてゴールの桜井駅に15時50分頃到着しました。
今日は、午後のみの13qのウオークで、少しハードでしたが、途中休憩を取りながら進み、参加者の皆様は無事元気にゴールされました、大変お疲れ様でした。