快晴の今朝は冷え込みましたが、太陽が高くなるにつけ気温が上がり穏やかな冬の一日となりました。
JR・香芝駅前の下田地区公民館の広場をお借りして、恒例の出発式を終え、健脚自慢の167名は9時50分元気にスタートしました。
近鉄・下田駅西側踏切を渡り、暫く進み「今池親水公園」でトイレ休憩を終え、香芝中学校前を経て田園風景が大きく広がる畑地区に入り、前方にはこれから登る聳え立つ二上山を眺めながら、田園地帯を過ぎて、畑地区内の住宅が密集する家並を抜け、二上山山麓の森の中に鎮座する「春日神社」へ、参道の急な数十段の階段を上り、神社本殿に参拝と共に境内で列詰め休憩を取り、神社を後にして、国道165号(大和高田バイパス)に架かる跨道橋を渡り、すぐ傍の配水タンクから登山口へ、雄岳山頂まで2.4kmの標識を見て、10時45分頃から登山を開始、途中、谷川と並行した山道を上り進み雄岳山頂まで1.5kmの分岐地点へ、ここから左上方に折れて急な丸太の階段を暫らく上り進み標高266m地点に着きほっと一息。
ここから、ほぼ平坦な二上山中腹の東側稜線を進む途中、左方面に視界が開け大和盆地を一望、遠くには霞む竜王山や三輪山など大和青垣の山々の景色を眺め癒されながら、小休止を取り暫く平坦な稜線の山道を進み、山頂まで0.9qの三方面から来る登山道の合流点に出ました。

この辺りから雄岳への一番の難関が待ち受け、間もなく山道は上りが急で厳しくなり、丸太で整備された長く続く階段や石の階段及び鉄製の階段等々を喘ぎながら一歩一歩慎重に踏みしめながら足取りは重く、途中、何度か休憩を取りながら、時折、左方向の木間からの眼下に見える大和盆地や葛城山等を望みながら上り進んで、上りがほぼ終わる山頂少し手前にある、天武天皇の第3皇子で皇位継承の争いに巻き込まれ、24歳の若さで命を絶たれた悲劇の皇子として知られている「大津皇子墓」に、先頭集団は11時40分頃到着。
ほっと一息つきながら先頭は、さらに「大津皇子墓」から、直ぐ近くに鎮座する「葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)」を経て「雄岳・山頂(517m)」に進み、山頂から整備された木板の階段や丸太の急な階段等を下り進み、「雄岳」と「雌岳」の中間のくびれた鞍部の「馬の背」に12時頃到着、後続は離れ離れになり三々五々、アンカーは約20数分遅れで到着。

「馬の背」で食事する者や、更に、急な階段を十数分上り進んで「雌岳・山頂(474m)」で食事する者、夫々分散して、風も無い穏やかな日差しの下、昼食休憩を摂りました。
「雌岳」へ上る途上の西方面には大阪平野を望み、遠く霞む「あべのハルカス」を眺望し、又、頂上からの景色は、東方面は、大和盆地や遠く大和青垣の山々を、南方面に目を転じれば岩橋山・葛城山・金剛山と重なる山々の美しい景色を楽しみました。

午後は13時、「馬の背」をスタート、大阪府側に下って「ダイヤモンドトレール(通称:ダイトレ)」へ、この「ダイトレ」は、1970年に大阪府によって整備された自然歩道で、屯鶴峯を起点として二上山・岩橋山・葛城山・金剛山・岩湧山・槇尾山を結ぶコースで全長約50kmに及び大阪府・奈良県・和歌山県にまたがっています。
「ダイトレ」の下りの坂道に入り、見下ろすような急な長い階段や蹴上の高い階段等を一歩一歩慎重に約1q下り進み、暫らく平坦な山道から、その後、長短の急なアップダウンが何度も繰り返し続く坂道や階段等を上り下りして進み、途中、送電線の鉄塔下では視界が開け、四囲の景色を眺めながら小休止を取り、アップダウンの山道を約1.3q進んで、やっと県道703号にたどり着き、一息ついて県道沿いを穴虫峠から「屯鶴峯」へ進み、先頭集団は14時30分頃到着、離れ離れの後続は遅れながら順次着き、アンカーは15時頃到着。

「屯鶴峯」は、二上山の火山活動により火山岩が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化・浸食を経て、真っ白な奇岩群となった岩山で、ここで、アンカーの到着まで自由行動として夫々見学した後、近鉄・南大阪線と並行する県道703号の歩道を東へ進み、穴虫交差点から穴虫地区の田園風景が広がる中を進み、やがて住宅地区内を通過し、住宅地に囲まれた森の中の北東部に鎮座する「大坂山口神社(穴虫)」へ、参道入口の鳥居をくぐり、緑に覆われた森の中の長い参道を経て、神社へ、境内の30数段の階段を上り参拝を済ませた後、住宅内を進んで15時50分頃、近鉄・二上駅に無事ゴールしました。
途中、残念ながら「二上山・雄岳」付近で、体力の限界か7・8名の方がリタイヤされましたが、残る皆様は無事元気に完歩されました、大変お疲れ様でした。