今日の午前中に近畿地方が例年より遅い梅雨入りとなりましたが、奈良県北部地域は幸いにも早朝の晴れ間から曇り空へと移り、少し蒸し暑い一日でしたが、王寺町にある「だるま発祥の地」の「達磨寺」から町の花が「笹ユリ」の上牧町を訪れました。
しかし、「笹ユリ」の開花時期は6月末頃までですが、今年は開花が早く、残念ながら咲いている「笹ユリ」を見ることはできませんでした。
JR王寺駅の北側連絡通路デッキ上に210名の多くの参加者を迎え、9時50分頃恒例の出発式を終え、雲間からは少し太陽が顔を出す空模様の中元気にスタート、王寺駅を後にして南へ歩みを進め、最初に訪れたのは聖徳太子ゆかりの「達磨寺」へ、西門前の聖徳太子の愛犬「雪丸」の愛らしい小さな石像に迎えられ境内へ、暫しの休憩を取りました。
「達磨寺」は「日本書紀」によると、聖徳太子が片岡に遊行した際、飢人(きじん)と出会い助け、その後、飢人は亡くなり手厚く亡骸を埋葬したところ、遺体が消えてなくなったとあり、後世、その飢人が達磨大師の化身だったとされ、その埋葬地に「達磨寺」が開基され、達磨大師の御廟と伝わる古墳の上に本堂が建っていて、聖徳太子坐像・千手観音坐像・達磨大師坐像がご本尊として三尊形式で祀られています。
その「達磨寺」を後にして、葛下川沿いを南へ長蛇の列は約2㎞進み、鼻下橋を渡り、山間の急坂を東へ上り進む途中の左方向の丘陵の頂上には1550年頃片岡国春によって築かれたとされる「片岡城跡」が、曲輪や大堀切(空堀)跡があるようですが、現在は、民有地になっているため、立ち入りすることはできませんでした。
坂道を上り、その城跡付近から、南へ約200mの参道を進み「片岡城跡」の南西に鎮座する「伊邪那岐社」へ、境内には古い石灯篭が並び、樹木に覆われた広い境内の神社で、祭神が日本神話に登場する男神の「伊邪那美命(いざなぎのみこと)」を参拝、暫しの列詰め休憩の後、神社を後にし、山間の道を東方面へ下り進み、下牧地区住宅内道路を通り抜け西名阪自動車道の高架下をくぐり抜け、萱等の雑草が繁茂していて水面が見えない滝川へ、その滝川沿いに整備された「滝川遊歩道」を暫く進んで、上牧町の「2000年会館(保健福祉センター)」に11時20分頃到着、この施設内の「やすらぎ広場」等で昼食休憩を摂りました。

午後は12時15分スタートし「2000年会館」を後にして西へ進み、服部台・米山台の住宅団地内の緩やかな上りの道路を西方面へ、高台にある上牧第1保育所前の低い丘陵上に鎮座する、樹木に覆われた「貴船神社」に入り、対の狛犬から拝殿前までの間に、珍しい覆い屋があって、雨でも気にしないで参拝できる神社で、主祭神である「罔象女命(みつはひめのみこと)」の参拝を済ませ、神社から南約200mにある「一の鳥居」を過ぎて、米山台団地を抜け総合病院の「服部記念病院」を南へ回り進んで、南上牧町地区集落の外れから山間部に入り、長い階段を上り進み樹木に覆われた高台にある「浄安寺」へ、境内には西国三十三箇所の観音石仏が点在し、又、寺の由来として二つの説が伝わっていて、いずれも平家伝説ですが、一つは壇ノ浦の戦いで自刃し果てたとされる平和盛が、敵を欺き上牧へ逃れ、守り本尊の弁財天を祀り小庵をかまえ、移り住んだという説と、もう一つは、平家物語に登場する能登守教経の子孫の久保小太郎武盛が先祖の、平家一門の霊を弔う為「浄安寺」を創立し、山頂に弁財天を祀ったというものです。
その「浄安寺」を後にして、山間の雑木林や竹藪内を東へ進み、途中、広い共同墓地を抜けて、やがて視界が開け、のどかな田園風景の水田が一面に広がる中を進み、広陵町真美ケ丘ニュータウンに入り、北西部に位置する馬見北9丁目の広場で列詰め休憩を取りました。
アンカーの到着後、列は南へ歩みを進め「畿央大学」の南側に位置する「香芝一号公園(高塚地区公園)」でトイレ休憩を済ませ、香芝高校前交差点から「中和幹線」沿いの歩道を西に約1.2㎞進み、葛下川沿いを暫く南下して、ゴールのJR香芝駅前に先頭は14時20分頃、10数分遅れで到着しました。
風がない蒸し暑い一日でしたが、参加者の皆様は全員無事ゴールされ、大変お疲れ様でした。