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<バックナンバー 2015年10月~12月>

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10月7日(水)
天誅組ゆかりの地を巡る ”ひよしちゃん”

コース・概略ルート
桜井駅→(バス)→大宇陀・道の駅→鷲家・鷲家八幡神社(スタート)→
天誅組終焉の地碑→ニホンオオカミの像→東吉野村役場→宝泉寺→天照寺禅寺→
丹生川上神社・東の滝(ゴール)→(バス)→桜井駅(15時10分頃)(10km)
今日の例会は、事前予約のバスウオークと云うことで、通常より若干少ない117名の方が参加していただき、空は爽やかな秋晴れで、絶好のウオーキング日和となりました。
参加者は4台のバスに分乗し、桜井駅を出発、途中「道の駅・宇陀路大宇陀」でトイレ休憩を取り、スタート地点の鷲家八幡神社に10時15分頃到着。
コースのメーンテーマは「天誅組ゆかりの地を巡る」と云うことで、東吉野村は明治維新よりさかのぼることわずか5年、明治維新への魁となった天誅組が最期を遂げた地です。
その「天誅組」とは、幕末期に徳川幕府の支配体制を破って王政を復古させようと、行動を起こした勤皇の志士達で、明治天皇の前侍従中山忠光卿を主将として構成された尊王攘夷派の武装集団で、大和の国で挙兵しましたが、時わずかして京都で薩摩・会津などの公武合体派による政変が起こり、情勢が一変して天誅組は大義名分を失い、暴徒として幕府軍の追討を受けここ十津川村で壊滅しました。
今日は、その天誅組に思いを馳せながらのウオーキングとなりました。
恒例の出発式とストレッチ体操を済ませ、10時30分に「鷲家八幡神社」をスタート、少しして最初に訪れたのが「天誅組終焉の地碑」と、総裁の1人で「吉村寅太郎の原えいの地(もとその亡骸を埋めていた所)」の場所で、スタッフの天羽さんからは、天誅組にまつわる詳細な話をしていただき、参加者の皆さんには真摯に聞きいって下さいました。
そこを後にして、山あいを流れる鷲家川沿いの県道16号(伊勢街道)を川のせせらぎを聞きながら、緩やかな下り道を南へ歩みを進め、途中には天誅組の足跡がしるされている所を通過して、東吉野村の中心地の小川(旧鷲家口)へ、次に、1903年にこの地で最後に捕獲された言われるニホンオオカミが等身大のブロンズ像で再現された「ニホンオオカミの像」に到着、見物と合わせて列詰め休憩を取り列の体制を整え暫らく歩いて、11時30分過ぎに東吉野村役場に到着。
さっそく水本村長さんから歓迎の挨拶を受け、又、ニホンオオカミの男の子で、頭の帽子は高見山をイメージした、マスコットキャラクターの大変可愛らしい、名前は「ひよしちゃん」からも歓迎を、役場の玄関前で集合写真を撮り、役場の裏を流れる高見川の河原を中心にして昼食休憩を取りました。
午後は12時40分スタート、10分足らずで宝泉寺へ、誰が撞いたか寺の鐘の音の響きを聞きながら、高見川沿いを上流に向かって進み、途中、県道220号から石舟橋を渡り列詰めと水分補給を行ない、高見川の左岸を少し汗ばむ中、爽やかな風を受けながら進み、川の中では最早シーズンが過ぎたが、今季最後の「鮎の友吊り」をしている釣り人が三々五々見かけ、釣果を上げる釣人も、高見川の清流を眺めながら、小村橋を渡り再び県道220号へ戻り、高見川の北岸の小村集落の中の高台に位置する、急な上りの階段を息せき切り上り「天照寺禅寺」へ、参加者の皆様はここから見下ろす景観の眺めに感激し、再び道路に戻りゴール近くの「丹生川上神社」へ、最後のトイレ休憩後、赤い吊橋を渡り「東(ひむがし)の滝」を見て、「東吉野村キャンプ場」入り口付近でゴール、順次バスに乗り込み14時20分頃帰途に着き、15時10分頃無事桜井駅に到着しました。
今日のコースはほぼ平坦な道で、列も整然と長く離れることも無く比較的スムーズに楽しくウオーキングが出来たのではないでしょうか。
ありがとうございました。

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10月21日(水)
いにしえの人が歩いた山の辺の道

コース・概略ルート
石上神宮→内山永久寺跡→夜都伎神社→天理市トレイルセンター(中間)→櫛山古墳→桧原神社→大神神社→海石榴市跡→JR・桜井駅(17km「健脚」/9km(中間ゴール))

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11月4日(水)
往馬大社から竹林寺・千光寺へ ※行基・忍性の墓

コース・概略ルート
生駒駅→往馬大社→竹林寺→円福寺→往生院→むかいやま公園→宝憧寺→(中間・南生駒駅)→千光寺→生駒山口神社→近鉄・元山上口駅(15時00分頃)(18km/9km(中間))
朝夕冷え込む季節となりましたが、今日の例会は雲一つ無い澄み渡った青空の下、日中は少し汗ばむ様な気候でしたが、絶好のウオーキング日和となりました。
コース説明とストレッチ体操の後、参加者229名(内スタッフ33名)は近鉄生駒駅を9時50分にスタート、 生駒市の中心市街地から南へ住宅街を貫く幹線道路を整然と進み、最初に訪れたのが生駒市の古い町「壱分町」内に鎮座する「往馬大社」に、急な階段を上り本殿に到着、 本殿では「七・五・三」参りの家族連れがお払いを受ける微笑ましい様子を見ながら、参加者は各自参拝、ここで列詰とトイレ休憩を取る。
往馬大社を後にして阪奈道路の下をくぐり、集落から木立の中の狭い道路を上り「竹林寺古墳」の前を通り、奈良時代に仏教を広めた僧、行基の開基と伝えられる「竹林寺」へ、 さらに本堂から左へ進み鎌倉時代の僧、忍性の「忍性墓(にんしょうぼ)(五輪塔)」を回り、そこから暫らく歩いて生駒山中腹の高台に位置する、蹴上の高い40数段の階段を上り、鎌倉時代に建立された、「円福寺」へ、 ここから南生駒を見下ろす風景が、また、遠く東方面の山々の景色に見とれる。
次に訪れたのが、新興住宅団地を通り抜け竹林に囲まれた急な道を上り「行基菩薩廟所往生院」へ、本尊は行基菩薩坐像で、境内には重要文化財の「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」などが残っている。
又、この「往生院」は行基を火葬した地といわれ、本堂裏にある石造五輪塔「行基供養塔」を見て回り、併設の墓地内を多くの参加者が進入、 御先祖様も驚いたかも知れないがそこを通り過ぎ、再び住宅団地を抜けて歩みを進めるが、「竹林寺」当たりから列が長く離れ離れとなり、途中「むかいやま公園」直前の長い急な上りの坂道を喘ぎながら順次公園に到着、数十分遅れてアンカーが12時頃到着。
目の前に生駒山頂を望み、赤く紅葉した木や緑に囲まれた公園で暖かい陽射しの下、昼食休憩。
集合写真撮影後、ここで、中間で別れる参加者を募り、中間ゴールする参加者は最後尾に着いて、12時40分午後のスタート。
公園を出てすぐ急な坂道を上り、竹薮・雑木林の山道を抜け、本堂が室町建築で国の重要文化財の「宝憧寺(ほうどうじ)」へ、 ここを過ぎて中間ゴールされる参加者50名は南生駒駅へと別れ、 健脚組みは山裾を流れる小川沿いの泥濘の道を約1km上流に向かって進み、川沿いを過ぎて棚田の右側沿いの急な上り道を、途中には農作業小屋内には大きな蜂の巣を横目に見て峠に到着し少し安堵の声が、峠から坂道を下り平坦な道を進んで、暫らくして駐車場内にあるトイレ近くで列詰め休憩。
そこからは今日最後の急な坂道を上り「ゆるぎ地蔵」へ、更に急坂を喘ぎながら上り「鳴川山三門」をくぐって緑におおわれた「千光寺」に到着、ここで約20分間の自由行動を取る。
思い思いに休憩する人や本堂・大師堂を巡り拝観する人、又、寺の奥にある行者堂前では「役の行者」が使ったとされる「鉄下駄」は履いて3回歩めば良縁が、「鉄錫杖」は3回持ち上げれば良き嫁子を授かるに、挑戦したかどうか、夫々自由拝観を終える。
「竹林寺」を後に元来た坂を下り「ゆるぎ地蔵」に戻り、右折して渓谷沿いの巨岩の壁に多数の石仏が彫られている「清滝石仏群」へ進み、川沿いのせせらぎの音を聞きながら緩やかな山道を下り、やがて視界が開け平群の住宅街を望み、さらに山裾を進み「生駒山口神社」に着き列詰休憩を、 長い急な100数段の階段を登って参拝する参加者を待ち、最後の住宅街を通り、「近鉄・元山上口駅」に15時頃無事ゴール。
今日は、生駒山山裾を歩く上りの多いコースで、参加者の皆様は長距離を無事、事故も無く完歩され、満足感と疲労感を覚え、電車に揺られ夫々帰宅の途に着かれたと思います、お疲れ様でした。

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12月 2日
葛城古道から水泥(みどろ)古墳を巡る

コース・概略ルート
JR・御所駅→鴨山口神社→六地蔵石仏→九品寺→一言主神社→春日神社→住吉神社 →極楽寺→船宿寺→水泥古墳→JR・近鉄・吉野口駅(15時20分頃)(15km「健脚」)
今朝の奈良地方は初霜が降り冷え込んだ朝でしたが、日中は冬晴れの晴天に恵まれ汗ばむほどの陽気でした。
今日のコースの葛城古道(葛城の道)は、金剛・葛城山麓を南北に走る山裾の道で、北は葛城市の「竹之内街道」から南は御所市鴨神の「風の森峠」に至る約13kmの道で、今日はその一部の「六地蔵石仏」から「極楽寺」を経て朝妻迄の約7kmのその古道を含めて歩きました。
スタート式を終え9時50分頃、参加者173名(内スタッフ32名)はJR御所駅前をスタートし、柳田川の堤防道路を進行中、近くの大正小学校のマラソン大会に遭遇、元気に走る児童たちと併行しながら葛城山を目の前にして進み、小学校前で児童たちと別れ住宅地と田畑の間の畦道を通り、県道の舗装道路に出る。
県道に出て間もなく道路は上り坂となり、暫らくして「鴨山口神社」に到着、ここで今日の例会の安全と無事を祈願し、山麓線(県道30号)を横断し、さらに上り坂を進み櫛羅の集落のはずれにある、地元の村人の強い信仰の対象となっている、六道の地蔵が巨石に刻まれた「六地蔵石仏」を左折。
ここから「葛城古道」に入り視界が開け、標高約160m前後の葛城山麓の田園風景が広がる道を南に進み楢原の集落を過ぎ畦道を上り進み、途中の「番水の時計」を見て、奈良時代の僧、行基が聖武天皇の勅により開基された「九品寺」を訪れ列詰め休憩を、寺の山門をくぐると境内は紅葉に彩られ、又、この寺の境内の裏山には「千体石仏」と称される多数の石仏があり、それを少し垣間見ながら「九品寺」を後にした。
晴れ渡たり澄み切った冬空のもと眺望は素晴らしく、後方の手前は御所市街地を、その向こうは大和盆地が開け大和三山や、更に遠くは龍王山から音羽山の連なる山々を、また東から南側方面は、龍門岳や遠くは吉野方面の連山を望み、山手側は紅葉した葛城山を仰ぎ見て、心を癒されながら古道の畦道を、更には竹薮の中等を進み、次に、願い事を一言だけ聞いてくれる、「一言(いちごん)さん」として親しまれる「一言主神社」へ、長い階段を上り拝殿に参拝し、この境内には見事に黄色に染まった、ご神木(乳銀杏)の樹齢千二百年の老大木を仰ぎ見て参加者からは感嘆の声が。
次に杉並木が続く神社の参道を東へ進み、大鳥居を右折して豊田の集落を経て、古い民家の美しい家並みやレトロ調な元郵便局長柄館が存在する長柄集落を進み、佐田地区の「春日神社」からは、更に急な上り道を南へ進み「住吉神社」を経て、熟した柿畑の間を通り山麓線に出て、なお、上りが続く坂道の高台に位置する「極楽寺」に疲れた足取りで、ほぼ予定通り先頭は12時15分頃に約15分遅れでアンカーが夫々到着、お寺の周辺や歴史を感じさせる鐘を備えた鐘桜門をくぐって境内の美しく手入れされた庭園を見ながら思い思いに昼食休憩を摂る。
午後は13時15分に「極楽寺」をスタート、山麓線から伏見の集落に入り、ここで「葛城古道」と別れ、左に折れ金剛山を背にして細い畦道を下り国道24号線の船路交差点に出る。
次に、今は参詣者の少ない船路の小高い山裾にある、サツキの寺で有名な「船宿寺」へ、ここでトイレと列詰め休憩を行い、通過車両の少ない山間のなだらかな舗装道路を淡々と約2km下り進み、JR和歌山線を渡り高台にある近鉄吉野線の薬水駅前を通過し、暫らくJRと近鉄線の間の道路を進み、今日最後の訪問地「水泥古墳」に到着。
ここの古墳は約100mの間を隔てて存在する北古墳と南古墳があり、特に北古墳は珍しく個人の住宅敷地内に存在し、所有者の西尾さんご夫妻の暖かいお迎えを受け、丁重な案内をいただき見学を終えました。
そこからJR和歌山線沿いを北へ残りの行程を進み、15時20分頃無事に吉野口駅にゴールしました。
最後に、今日のコースの前半は、金剛・葛城山麓の道路で上りのきつい所もありましたが、参加者の皆様には事故も無く、天候にも恵まれ快適に楽しくウオーキングされたのではないでしょうか。夫々にJR及び近鉄電車に揺られ帰途に付かれました、お疲れ様でした。

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12月 19日
<四季巡り・冬> 大和郡山市・金魚池・羅城門跡を巡る

コース・概略ルート
JR・郡山駅→栴檀の大木→平城京羅城門跡→お土居公園→おたすけ地蔵→畦道の金魚池→大職冠鎌足神社→大納言塚→鰻池→郡山西公園→郡山城跡→JR・郡山駅(13時40分頃)(11km)
平成27年も残り少ない師走の慌ただしい日々の中、今日は曇り空で寒い朝でしたが235名の参加者を迎え、本年最後の例会となりました。
ストレッチ体操でウオーミングアップし、JR郡山駅東口をスタート式で少し時間を取り過ぎたか、何時もより少し遅い10時前にスタート、 暫らくして佐保川に架かる郡山大橋を東に越え、最初に訪れたのが佐保川東岸の堤防上にある大木の「栴檀の木」です。
5・6月頃に、淡紫色の5弁の花を咲かせますが、いまの時期は梢に楕円形の小さな果実が残るのみで、根元には小さな祠が祀られ、 参加者は大木を仰ぎ見感嘆する者、また、近くの「万葉歌碑」を詠む者も、そこから300m程北へ佐保川の堤防道路を進み「羅城門跡」へ、 今は「西九条緑地公園」となっていますが、この地は平城宮跡から南に約4kmの位置にあって、平城京の中央を南北に通る朱雀大路(道路約70m)の南端にあって、 かつて都の正門となる「羅城門」があった所で、今は「平城京羅城門跡」の石碑が建っているのみでしたが、 直近の佐保川に架かる羅城門橋からは、遠く北のかなたに平城宮跡の朱雀門と大極殿の重なる屋根と太陽に光る鴟尾を垣間見ることが出来ました。
羅城門橋の高架下から西へ、 JR大和路線の下をくぐる地下道を抜け次に進んだのは、当時、郡山城の外堀開削の際、堀の内側に土を盛って「土手」を築き松や竹を植え、大きな松の木がそびえていて遠くからの目印となっていたとされる「お土居公園(おどえの松)」へ寄り、 そこからさらに外堀があったとされる「広島浅池跡」や「小川町裏池跡」を北へ進み、ドラッグストアの「キリン堂」と「やまや」でトイレをお借りしてトイレ休憩。
休憩後からは、太陽の陽射しが雲間から照らし温もりを感じながら、県道を南へ少しして工場の間の路地を西に入り、住宅地の片隅に鎮座する「おたすけ地蔵」を見て、 近鉄橿原線を越え外堀跡の「代官池跡」さらには「鴨ケ池跡・番鐘池跡」沿いを進み「金魚池」へ、 その金魚の養殖池の中央に長く続く畦道を進み西端の坂を上り高台から振り返って見ると、東方面の遠くは若草山や春日原生林の大和青垣の山々の素晴らしい景色を眺望。
この当たりで列が長く伸び離れたため、道路の高台にある郡山中学校の手前付近で列詰め休憩を取る。
中学校の石垣沿いから竹薮と住宅地の間を抜けると、藤原鎌足の御分霊を奉斉(神仏を謹んでお祭り申す事)した「大職冠鎌足神社」へ、鬱蒼とした木々の中の長い階段を上り参拝を終え、 南郡山町の住宅街の狭い道路を整然と南へ約1km進み、 次に訪れたのが天正19年(1591年)郡山城内で没した大納言豊臣秀長の墓所「大納言塚」へ、豊臣秀吉の異母弟で戦国時代に活躍した武将で大和郡山百万石の城主となった人です。
墓所の入口には「お願いの砂」というものがあり、願い事を唱える参加者も見受けられました。
そこからは、狭い歩道や市街地を抜け、郡山城主柳沢家の菩提寺である「永慶寺」前を通り、郡山西公園内にある「鰻堀池」の桟橋を渡り、 12時10分頃西公園の中心部に到着、ここで昼食休憩を摂りました。
午後は西公園を13時にスタート、太陽は陰り曇り空の中、 現在郡山城跡の天守台の石垣修復整備工事を眺めながら内堀の外周を回り追手門前を通り、近鉄橿原線の踏切を渡り大和郡山市役所前を通過して、柳町商店街を抜け、 道の真ん中に水路(紺屋川)が流れ、古い町並みで江戸時代の町屋を修復した箱本館「紺屋」がある、藍(あい)染めを職業とする人たちが集まった職人町の「紺屋町通り」のカラー舗装された道路を通り、 最後に郡山城跡外堀の一部を公園化した「外堀緑地公園」を通過して、ゴールのJR郡山駅西口に少し早い13時40分頃、全員無事到着しました。
今年最後の例会にご参加ありがとうございました。
最後に、この1年間当協会の例会及び特別大会に、当協会員を初め他協会員及び一般参加の皆様には多数ご参加いただき、有難う御座いました。
来年も、一層充実した内容で、皆様には参加してより楽しい例会になりますよう、スタッフ一同精進してまいりますので、今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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