今回はいにしへの人物“蘇我入鹿”“柿本人麻呂”“太安万呂”ゆかりの神社を巡ります。
今井町(伝統的建造物保存地区)…ゆかりの神社を巡る前に、中世末、寺内町として栄えた今井町を巡ります。今井町は伝統的な住宅が並び、歴史的景観を今なお残しており、河合家住宅、今西家住宅など重要文化財に指定されています。
入鹿神社…入鹿神社は蘇我入鹿の像を御神体としています。蘇我入鹿は乙巳の変(いつしのへん=大化の改新)で、中大兄皇子と中臣鎌足らに討たれ、その首はここまで飛んできたとのことです(飛鳥寺の西側にも同じように五輪塔が立っています)。明治時代に、皇国史観に基づいて逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神をスサノオに、社名を地名からとった「小綱神社」に改めるように政府から求められましたが、地元住民はこれを拒んだことで、入鹿神社の名が今に受け継がれています。
人麿神社…万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂を祭神とする神社です。人麻呂は『万葉集』には少なくとも80首以上の歌を残していますが、当神社には「秋山の黄葉を茂み迷ひぬる 妹を求めむ山道知らずも」と愛しい人を捜し求める歌を詠んだ歌碑があります。
多神社…正式名は多坐弥志理都比古(おおにますみりしつひこ)神社。『古事記』を編纂した太安万呂(おおのやすまろ)はこの多氏の一員です。奈良市此瀬町の茶畑から偶然に安万呂の墓が発見されました。また、北緯34度32分のライン上に二上山、多神社、三輪山(檜原神社)、その東への延長線上に長谷寺、室生寺があり、さらに伊勢神宮が初めて鎮座した地といわれる伊勢斎宮遺跡があります。このラインを「太陽の道」といい、昭和55年「知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく」と題して、特別番組がNHKで放映されました。
当日は飛鳥川沿いの桜並木は満開になっているでしょう。春爛漫、歴史ロマンを存分にお楽しみください。