今回は、美しい日本の歩きたくなるみち500選の一つ、「吉野山を巡るみち」を歩きます。紅葉の見ごろを過ぎた後の、初冬の静かな山道のウォーキングをお楽しみください。

銅(かね)の鳥居…金峯山寺黒門を過ぎると巨大な銅製の鳥居が立っています。この鳥居は安芸の宮島の木造の鳥居、大阪四天王寺の石の鳥居とともに、日本三鳥居の一つとされ、銅製の鳥居としては日本最古のもので、重要文化財に指定されています。掲げられている扁額には「発心門」と書かれています。
金峯山寺蔵王堂…東大寺大仏殿に次ぐ2番目に大きい本堂に、巨大な蔵王権現三体(重文)が祀られています。蔵王堂の西側には南朝跡の碑が立ち、また蔵王堂の前に「大塔宮御陣地」の碑があります。ここは、武将村上義光が大塔宮の身代わりになって二天門に上がり、腹を真一文字に掻き切ったとされる、南朝の悲劇の舞台になったところです。
吉水神社…木造檜皮葺の神社には12の部屋があり、その中には「源義経潜伏の間」や「弁慶思案の間」と呼ばれる部屋があります。書院造の「後醍醐天皇玉座の間」は、太閤秀吉が花見の際に使用した部屋です。ここから眺める上千本の桜の景色は、一目千本と呼ばれる素晴らしい眺めです。
竹林院群芳園…竹林院群芳園は大和郡山慈光院の庭園、当麻寺中之坊と並んで大和三庭園の一つ。太閤秀吉の花見に先立って改修された、池泉回遊式の美しい庭園です。本居宣長も『菅笠日記』でその眺めの素晴らしさを書き畷っています。
吉野水分神社…吉野水分神社(重文)は本殿、拝殿、幣殿、回廊からなっており、それぞれの屋根の葺き方に特徴があります。本殿は檜皮葺、拝殿、幣殿は柿葺き、回廊は栩葺きになっています。三社一列に並ぶ本殿は連棟式建築様式と呼ばれ、「水分造り」といわれています。「みくまり→みこもり→こもり」と転じて「子守明神」とも呼ばれています。
花矢倉展望台…花矢倉は源義経を逃がすため、佐藤忠信が追手の僧兵に矢を射かけたとされるところで、「義経千本桜」の題材になっています。近くの展望台からは吉野山全体の景色を見下ろせます。
如意輪寺…楠木正行が「かへらじとかねて思へば梓弓 なきかずに入る名をぞとどむる」と辞世の句を寺の扉に刻んで出陣し、壮絶な最期を遂げました。また本堂の脇の石段を上ると、後醍醐天皇が眠る塔尾陵があります。「玉骨はたとひ南山の苔に埋もるとも 魂魄(こんぱく)は常に北闕(ほっけつ)の天を望まんと思ふ」の遺志により、北向きの陵になっています。
「歌書よりも 軍書に悲し 吉野山」と詠まれた、悲劇の歴史の舞台を巡ります。