今回は、大和郡山市の南西部に位置する小泉の里から、矢田丘陵の山裾に位置する山田・矢田山地区では新旧混在していますが、今も原風景が残るのどかな里山を巡り、矢田丘陵中腹にある矢田寺から、既に稲穂の収穫が終わった田園風景を望みながら、初秋の里山をウオークします。

小泉庚申堂:江戸時代の初め2代目小泉藩主片桐貞昌(かたぎりさだまさ)(石州(せきしゅう))の時、家老で茶人の藤林宗源(ふじばやしそうげん)が創建し石州が8石を寄進した。その後、富雄川の氾濫で流失したが、再建された。西門は小泉陣屋の遺構です。
境内は山門の軒瓦や梵鐘の文様など「猿」があふれていいます。猿は動き回りじっとしていないので、「くくってご猿」または「くくり猿」となり、真っ赤な座布団の四隅を折り曲げて一つにくくり、その間に丸い頭を付けたもので、手足をくくられた猿を表します。門前や周辺の民家の門口にも梵字がしるされご祈祷(きとう)を受けたお守りの「くくり猿」が下げられています。

小泉城跡:現在は小泉城址の石碑があるのみですが、小泉城は平城で、別名、片桐城と言い、小泉陣屋とも呼ばれている。小泉陣屋時代は小泉藩の藩庁でもあった。

小泉神社:祭神は、素戔嗚命(すさのおのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)。
創祀は明らかではないが、宮座に所蔵する大正5年(1508)の「小泉南北之御宮日記」があるが、かつては南と北の宮があり、祭礼は南の宮が9月6日、北の宮が9月7日で十人の頭人からなり、田楽・猿楽を奉納したようである。

矢田寺:天武天皇の勅願により天武天皇8年(679年)に智通(ちつう)僧正が開基、当時、僧坊48を数える大寺であったが、現在は、矢田寺北僧坊・大門坊・念仏院・南僧坊の4つの僧坊を総称して「矢田寺」と呼ばれ、また別名「あじさい寺」ともいわれています。

尚、歩行距離は当初予定13qでしたが、15kmと少し長くなりますが、多くのご参加お待ちしております。