今回は、晩秋の佐紀の里・西ノ京の道を歩きます。「歴史の道」として整備されており、平坦で歩きやすい道ですが、15qとやや距離は長めですので、ステッキを使用されている方はお持ちください。
西ノ京…平城京の西に位置するところから西ノ京と呼ばれています。薬師寺、唐招提寺、西大寺などの名刹や垂仁天皇陵のほか、のどかな田園風景などが楽しめます。
・薬師寺…道路を挟んで南側が白鳳伽藍(有料)で、北側が玄奬三蔵院伽藍です。薬師寺は興福寺と並んで法相宗の本山で、法相宗の祖・玄奬三蔵を偲んで玄奬三蔵院が建てられました。『西遊記』に出てくる、孫悟空でお馴染みの三蔵法師は玄奬三蔵をそのモデルにしています。
・唐招提寺…聖武天皇の願いで日本に戒律を伝えるために、5度の渡航の失敗を乗り越え、6度目にして渡航を果たしました。その時には既に両眼が失明していたことは有名です。薬師寺などとともに、世界遺産「古都の奈良文化財」を構成しています。
・垂仁天皇陵…全長227mの前方後円墳で、第12代垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」とされています。垂仁天皇の命で、田道間守が不老不死の非時香果(ときじくのかぐのみ)を持ち帰った時には、天皇は既に亡くなっており、嘆き悲しんだまま死んだという田道間守の墓という小島が、水をたたえた濠に浮かんでいます。
・喜光寺…奈良の大仏の造立に大きな働きをした行基が亡くなったとされるお寺です。聖武天皇が病気の行基を見舞った時に、本尊から放たれた光を見て、喜光寺と命名されたと伝わっています。また行基がこの本堂を参考に、これを10倍の規模に拡大して東大寺の大仏殿を建てたとの伝承から「試みの大仏殿」と呼ばれました。
・西大寺…764年、聖武天皇と光明皇后の娘である称徳天皇(孝謙天皇が重祚)の発願により建てられたもので、東の大寺・東大寺に対する西の大寺・西大寺と名付けられました。東塔跡は、創建当初は8角7重の塔を計画して8角の基壇が造られましたが、途中、4角の基壇に改められ、5重塔とされました。
東塔跡の西側にブロンズ像の平和観音が立っています。見どころに載せた写真は、像の前にある線香立て(?)からお顔を撮ったものです。
・秋篠寺…秋篠の里に佇む苔むした境内は、静寂な雰囲気が漂う落ち着いたお寺です。木像伝伎芸天立像は秋篠寺を代表する仏像で、音楽家や舞台人などの芸能関係の人から篤い信仰を得ています。
佐紀の里…奈良盆地北部にあり、24号線バイパスを挟んで西部を佐紀、東部を佐保と呼ばれ、4世紀から5世紀に築かれた古墳群や、静かな佇まいを見せるお寺などが楽しめます。
・佐紀盾列古墳群…神功皇后陵から佐紀盾列古墳群に入ります。成務天皇陵と日葉酢媛陵に挟まれた道は、静かで凛とした空気の張りつめた気持ちの良い道です。
・日葉酢媛陵…日葉酢媛は垂仁天皇の皇后で、これまで行われていた殉死に代わって埴輪を立てることが奏上され、これが埴輪の起源になったと言い伝えられています。
・平城宮東院庭園…平城宮の東に張り出した庭園で、平成7年から平成10年にかけて復元されました。称徳天皇は近くに「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催していました。
・法華寺…もと藤原不比等の邸宅で、娘の光明皇后の皇后宮を寺にしました。「法華滅罪の寺」として国分尼寺の総括をする寺でした。中宮寺、円照寺と合わせて大和三門跡尼寺として知られています。