今回の例会は東吉野村を訪れ「天誅組ゆかりの地」を巡ります。
天誅組は、幕藩制度の過酷な支配体制を打ち破って王政を復古させようと、行動を起こした志士達で、明治天皇の前侍従中山忠光を主将とし、備前岡山出身の藤本鉄石、三州刈谷出身の松本奎堂(けいどう)、土州津野山郷出身の吉村寅太郎の三士を総裁として土佐勤王党等の志士達で構成された尊王攘夷派の武装集団で、大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した。

天誅組終焉の地・・・五條代官所を襲撃して挙兵した天誅組は、40日余りの戦闘の後、ここ東吉野村鷲家において事実上壊滅した。

ニホンオオカミの像・・・ニホンオオカミは、明治の初めまで、本州・四国などにかなりの数が生息していたようですが、その後急減し、明治38年(1905年)東吉野村で捕らえられた若雄のニホンオオカミが日本で最後の捕獲の記録となりました。

宝泉寺・・・天誅組事変の際、鷲家口に布陣した彦根勢が篝火の代わりに寺を焼こうとしたのを、当時の和尚が阻止したという謂れのある寺で、鷲家口で戦死した義士や彦根藩士の菩提寺として、天誅義士吉村寅太郎ほか9名と彦根藩士2名の菩提寺。

天誅義士の墓・・・この地で戦死した天誅組隊士の墓は、この鷲家口に9基(吉村寅太郎・那須信吾ら)、湯の谷に5基(松本奎堂・藤本鉄石ら)といずれもまとまってある。
天皇に逆らった「賊」として死んだ彼らだったが、明治になると新時代を拓いた「義士」として復権した。

丹生川上神社・・・主祭神は罔象女神(みづはのめのかみ)。水を司る神様で雨師の神として信仰されてきた。本殿は1829年の建築で東吉野村の文化財に指定されている。また、境内にある石燈籠は1264年に造られたもので国の重要文化財である。境内の樹齢1000年を超える大杉は「叶えの大杉」と呼ばれており、幹に両手を当てて願うと、その願いが叶うといわれている。