今回はJR香芝駅に集合して、皆様よくご存知の今池親水公園から近鉄二上駅付近まで進み、その後、北上して式内社として由緒ある大阪山口神社(穴虫)と大阪山口神社(逢坂)に参拝します。その後は志都美神社を経て、武烈天皇陵を眺めながら最近話題となっている平野塚穴山古墳と、その近くにある正楽寺を経て尼寺廃寺跡に行きます。ここが昼食会場になります。午後は葛下川沿いの遊歩道を北上して、雪丸でおなじみの達磨寺から、ゴールのJR王寺駅までの13Kmのコースです。暑い時期のウォークですので各自で十分な水分/塩分補給や熱中症対策用品を準備していただき、無事に完歩したいと思います。
今回の見所としては、香芝市の国指定史跡(7世紀後半)の「平野塚穴山古墳(1辺17mの方墳)についてお知らせします。
この古墳は平野古墳群(6基)の西端にあり、江戸時代の絵図では顕宗天皇陵とされていた。約500m北東には飛鳥時代に寺院があった国史跡の尼寺廃寺があり、同じ集団が古墳も造営したと考えられている。今年の6月25日に香芝市の教育委員会が墳丘表面を飾った凝灰岩の「貼り石」を確認したと新聞発表された。この「貼り石」は天武・持統陵と斉明天皇陵とされる牽牛子塚古墳でしか確認されていないなど飛鳥時代の天皇陵級の古墳に見られる特徴である事から、王族(皇族)の墓にふさわしく、専門家は被葬者を天武天皇・天智天皇の祖父にあたる「茅渟王(ちぬのみこ)」の可能性が高まったと見ておられる。(茅渟王は敏達天皇の孫、舒明天皇の異母兄弟。律令国家形成上、重要な皇族ですが文献の記録がない)
また、石室正面の左右にある石の端など合計8ヶ所で石材を動かすために鉄の棒を差し込んだ穴「てこ穴」も確認された。これは高松塚、キトラ古墳など飛鳥地域の古墳で使われた技法で、同じ石工集団が石室を造った可能性があります。
この古墳から南東約3kmにある牧野(ばくや)古墳は、茅渟王の父・押坂彦人大兄皇子の墓とされており、立地や棺などから、平野塚穴山古墳の被葬者は以前から茅渟王が有力視されていたが、今回の発見で、その確度が高まったとされています。(茅渟王の奥様は吉備姫王で、このご夫婦の子供が孝徳天皇や斉明(皇極)天皇になります)
(注)この内容は6月26日の読売新聞の発表記事から編集して掲載しています。