大和川の川原には彼岸花が咲き始めていて、秋の気配が漂い始めています。今回は、在原業平が通った“業平道”を中心に、太子道や中家住宅、忍性の五輪塔など16㎞を歩きます。はじめに“みむろ山”を登りますが、100mに満たない山です。あとは平坦な道が続きます。ウォーキングステッキを使用されている方はご持参ください。

みむろ山…紅葉で有名な“みむろ山”(82m)は、竜田川とともに数多くの和歌に詠まれています。なかでも在原業平の「千早ふる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」能因法師の「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり」は百人一首にある有名な歌です。みむろ山には5分ほどで登れ、降りたところにこの2首の歌の歌碑があります。
業平道…竜田川に架かる念仏橋を渡ると“つれづれの道”に入ります。これは在原業平が河内に住む姫のもとに通った道として、業平道と呼ばれています。この道は、平安時代の歌人で『伊勢物語』の主人公として有名な在原業平が、天理の櫟本―大和郡山―安堵町―斑鳩町―平群町を通り、河内の高安(現在の大阪府八尾市)まで、河内姫のもとへ通ったとされている道です。いつからかこの道は“業平道”の名で呼ばれ、道筋の各所に多くの業平伝説が残っています。
高安天満宮…富雄川に架かる橋「業平橋」を渡ると高安天満宮に着きます。高安天満宮が鎮座する高安村(当時)は在原業平が河内の恋人の屋敷から帰る途中に、美しい村の娘が業平に連れていかれないように、鍋の墨を顔に塗ってわざと醜(みにく)くしたという伝説があります。
太子道…奈良盆地中央部を斜めに通る道で“筋違い(すじかい)道”とも呼ばれ、聖徳太子が斑鳩から飛鳥へと通った道です。安堵町の広峯神社から飽波(あくなみ)神社まで、当時の面影がよく残されています。
中家住宅…濠に水をたたえた水濠に囲まれた典型的な大和の環濠屋敷で、中世大和武士の平城式(ひらしろしき)居館の姿をよく伝えています。中氏は筒井氏の家臣でしたが、天正13年(1585)筒井氏は伊賀に転封された時、随行せず帰農しました。江戸時代には窪田村の庄屋をつとめています。
忍性五輪塔…額安寺の北西にある五輪塔群で、このあたりは「鎌倉墓」ともいわれている。重要文化財に指定されている8基の五輪塔は、敷地の西側に東面して5基、北側に南面して3基が鍵状に並んでいます。昭和57年の解体修理の際に行われた地下調査によって発見された忍性の骨臓器などは、中世の高僧の墓制を知るうえで貴重な資料となりました。