今年も暦は早や12月に入り、この季節一番の冷え込んだ朝となりましたが、日中は快晴の天候に恵まれ、今日は、若き日の「弘法大師」ゆかりの「大安寺」・「十輪院」等々で仏道の修行に励んだ、奈良の寺院を訪れました。
寒さでちぢかんだ体をストレッチ体操でほぐし、9時50分頃参加者168名は青空の下、奈良駅を元気にスタート、県道745号を約1q南へ大安寺地区に進み、信号待ち等で列は離れ離れになりながら、最初に訪れたのは「癌封じ・笹酒まつり」などで有名な「大安寺」へ、本堂に参拝や広い境内には嘶堂(いななきどう)や護摩堂等が建ち、竹林内を通る「いのちの小径」等があり散策。
その「大安寺」の開基(創立者)は聖徳太子と伝えられ《聖徳太子が平群郡額田部に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が官寺(朝廷が建てた寺)となり、その後、移転や改称を繰り返したとされ、平城京に移って「大安寺」を称したとのことです。》、南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺で、南側にある「大安寺塔跡」には、高さ70m程の七重塔が東西2基建っていたとされる基壇の礎石が往時の姿を伝えています。
その、史跡大安寺旧境内の「東塔跡基壇」前で、スタッフによる詳細な解説に参加者は熱心に耳を傾けていました。
尚、弘法大師は、大安寺の勤操(ごんそう)大徳の弟子となって修行したといわれていて、境内に歴代名僧を祀る五輪塔には弘法大師の名も刻まれています。

広々としたのどかな雰囲気の大安寺旧境内を後にして、住宅密集地域に入り、大安寺交差点から大型商業店舗や自動車販売店等が並ぶ県道112号を東へ進み、JR・桜井線の京終駅西側踏切を越えて、奈良の旧市街地「ならまち」に入り、当麻・中将姫生誕地と伝わる「誕生寺」から、その中将姫伝説のお寺「徳融寺(とくゆうじ)」前を通り、「ならまち」の狭い路地を通り進みながら、途中には、奈良市の指定した保存樹で、黄葉した樹高10mの見事な「イチョウ」を眺めながら「御霊神社」前から「十輪院」へ、この「十輪院」は、奈良時代の官人・朝野魚養(あさののなかい)が建てた寺と伝えられています。
本堂には立派な石龕(せきがん:石塔)が組まれ、その中には珍しい石造の御本尊・地蔵菩薩が祀られています。また、朝野魚養は能書家で知られ、弘法大師の書道の師ともいわれています。
余談ですが、この「十輪院」には「酒と泪と男と女・野風増」等の歌でなじみの川島英五さんのお墓があり、参加者の皆様は興味深くお参りしていました。

次に訪れたのは、奈良の国宝・世界文化遺産の「元興寺」へ、日本最初の本格的寺院・法興寺(飛鳥寺)が平城京遷都に伴いこの地に移り「元興寺」と称し、元興寺総合収蔵庫(宝輪館)には国宝・五重小塔を始め、鎌倉時代に造られた「木造・弘法大師坐像(重要文化財)」も安置されています。
その「元興寺」から「ならまち」を後にして、「ならまち大通り」から鷺池(浮見堂)に進み、トイレと列詰め休憩後、坂道を上り、円窓梅林から浅茅ヶ原園地を通り、観光客で賑わう大仏殿交差点から「春日野園地」に入り、12時20分過ぎ到着、多くの鹿が集まる園地で、又、若草山や僅かに残る紅葉を眺めながら昼食休憩を摂りました。

午後の出発前に、再びスタッフから、午前中に訪れた「十輪院」や「元興寺」等の解説に耳を傾け、12時10分頃スタート、多くの観光客が行き交う東大寺境内参道を「南大門」から「大仏殿」前を通過し、「東大寺戒壇堂」へ、ここで弘法大師が具足戒(ぐそくかい:出家僧侶の守るべき戒律)を受け、その直後に遣唐使の留学僧として唐に渡り、長安で学んだとの事です。
修復中の正門前の五十数段の階段を下り、白い土塀が続く、写真家・入江泰吉旧居がある静かな佇まいの家並みの道を進み、奈良県庁前から「興福寺」境内に入り、享保2年(1717年)に講堂、西金堂、中金堂が焼失して300年ぶりに復元され、10月に落慶法要された「中金堂」前に13時40分頃到着、荘厳で美しい大規模な木造建築物、中央部分には黄金色の、御本尊・釈迦如来坐像(しゃかにょらい)が開帳されていました。
ここで、近鉄・奈良駅方面に帰途や他を観光される半数の参加者と別れ、残る半数は観光や買物客で賑わう三条通りを西へ進み、14時頃JR・奈良駅にゴールしました。
今日は寒い一日でしたが、初冬の奈良路を楽しくウオーキングして頂けたのではないでしょうか、ありがとう御座いました。