7回目を迎えた「大和の国中・奈良盆地一周ウオーク」は、香芝市穴虫・逢坂地区を経て「尼寺廃寺跡」から「だるま発祥の地」王寺町までの13㎞を歩きました。
朝は少し暑さも和らぎましたが、まだ蒸し暑さが残る今日の天気予報は傘マークがある不安定な中、JR・香芝駅前の下田地区公民館駐車場をお借りして恒例の出発式を終え、参加者182名は薄日が差す中、9時50分頃元気にスタート、近鉄・下田駅西側踏切を渡り、暫く進んで「今池親水公園」へ、出発して間もなくですがトイレ休憩を済ませ、長蛇の列は二上山の山並を望みながら西へ歩みを進め、近鉄・二上山駅東側から北に方向転換し、国道165号に架かる歩道橋を渡り穴虫地区へ、穴虫の住宅密集地域を抜け、山間の狭いあぜ道を進み、住宅に囲まれた小山の北麓に鎮座する「大坂山口神社(穴虫)」へ、30数段の階段を上り拝殿へ、更に20数段上って、祭神の「大山祇命(おおやまつみのみこと)」他2神が祀られている本殿に参拝。
この神社は「相撲神社」として知られ、階段下の境内広場には、石垣を組んだ桟敷(さじき)席が残っていて、昔日の、秋の大祭には「宮相撲」が行われ「馬場のお宮さんの相撲」といって、相当な賑わいであったといわれています。

最後の参拝を待って穴虫地区を後にし、近鉄・二上駅東側の踏切を渡り逢坂地区に入り、その逢坂集落の西部に鎮座する「大坂山口神社(逢坂)」へ、この神社の祭神も「大山祇命」他2神が祀られていて、本殿は細部に室町時代の様式をもっていることから、特に重要なものとされていて県の指定文化財となっています。
この辺りで、心配された小雨が降り出し、若干、合羽や傘の花が開き、列は整然と北へ進み中和幹線から東西に流れる竹田川沿いを経て、逢坂地区集落を後にし、大規模な旭ヶ丘住宅団地東側の幹線道路沿いを更に北上し、雨も小康状態で肌に感じる程度の小雨の中、「武烈天皇陵」の南東部に隣接して鎮座する「志都美神社」へ、祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)他2神で、本殿裏の鬱蒼とした社叢(森)は原生林で、県指定の天然記念物になっています。
参拝と列詰め休憩を取りアンカーの到着を待って、神社を後にし「武烈天皇陵」及び社叢を背に、稲穂が実り始めた水田地帯から、西北へ回り進み西名阪自動車道の高架下をくぐると視界が大きく開け眼下に平野地区を一望、坂道を下り地区内の水田が広がる狭い道を進み、集落の北側に位置する、国史跡の「平野塚穴山古墳」へ、被葬者は茅渟王(ちぬおう:斉明(皇極)天皇の父)との説があり、7世紀中頃から後半の築造と推定される古墳(一辺18m、高さ4m前後の方墳と推定)で、墳丘に凝灰岩の張り石で飾られていたとみられることが分かったとのことですが、残念ながら、現在、発掘調査中で見ることはできませんでした。
隣接する「正楽寺」の狭い境内に入り、コンクリートの覆い屋の中に「石造線刻阿弥陀如来坐像」が祀られていて、この石仏は、平安時代後期の様式を残し、像高125.5㎝で板状の凝灰岩に浅く線刻した像で、その石仏を拝観して、古墳及びお寺の北側に位置する、白鳳台住宅団地内の緩やかな下りの道路を進み、香芝市の北東端に位置する、「尼寺廃寺跡」に12時20分頃到着、心配された雨もすっかり上がり、日差しが照り付け「尼寺廃寺跡学習館内」や周辺及び整備された塔跡等で昼食休憩を摂りました。

「尼寺廃寺跡」は飛鳥時代の後半に創建された寺院跡で、法隆寺式伽藍であったことが判明していて国史跡に指定されています。
「学習館」では、現存する日本最大の塔心礎の模型と、土層断面を展示していて、それらを見学して、午後は13時30分スタート、JR・和歌山線を渡り東へ進んで、葛下川の左岸道路を長蛇の列はのんびりと北へ進み、途中、堤防上に設置されているトイレ施設で休憩を取りながら、聖徳太子と達磨大師のゆかりの寺「達磨寺」に入り、最後の休憩を取りながら、王寺町観光ボランティアガイドの方から説明を受け「達磨寺」を後にし、14時40分頃JR・王寺駅前にゴール。
完歩証明の王寺町のマスコットチャラクターの「雪丸」を印刷した「IVV」を受け取り、夫々帰途に着かれました、お疲れ様でした。