今年の夏は異常なほどの猛暑・酷暑日が続きましたが、慣用句で「暑さ寒さも彼岸まで」と言うように、お彼岸に入って季節も移ろい暑さもようやく和らぎ、凌ぎやすくなった昨今で、今回の例会は「四季めぐり・秋」と題して、初秋の明日香路を巡り、日本の棚田百選にも選ばれている「稲渕の棚田」を訪れ、毎年この9月に開催される、恒例の「案山子コンテスト」と「彼岸花祭り」を楽しんでいただきました。

近鉄・飛鳥駅前に参加者156名を迎え、ストレッチ体操で体をほぐし、秋晴れの下9時50分頃、元気にスタートしました。
近鉄吉野線と並行して流れる、高取川沿いを暫く南へ進み、檜前地区内に鎮座する「於美阿志(おみあし)神社:檜前(ひのくま)寺跡」へ、鳥居前の境内案内板には「檜前は、15代応神天皇の代に、百済から渡来した、阿智使主(あちのおみ)が居住したと伝えられ、於美阿志神社は、その阿智使主を祭神としていて、檜前寺跡は、この神社の境内にあり、塔・講堂と推定される建物跡を残す」と記していました。
参拝と休憩を済ませ、神社を後にして間もなく、視界が開け「国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区」の北端辺りを経て、遠く畝傍山等を望みながら、稲穂が実るのどかな田園風景が大きく広がる檜前地区を東方面へ進み、丘陵の上端に位置する「文武(もんむ)天皇陵」へ、陵名は「檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)」で、文武天皇は天武・持統天皇の孫で、15歳の若さで第42代天皇として「藤原宮」で即位するも25歳で崩御しました。
陵に拝礼の後、北へ回り進みすぐ近くに位置する、1972年に極彩色の壁画が発見された「高松塚古墳」を経て「高松塚休憩所」でトイレ・列詰め休憩を取りました。

休憩の後、長閑な平田地区のミカン畑や田畑を見渡しながら狭い村道を上り下りして進みながら集落に入り「念仏寺」から東へ約1㎞先の「朝風峠」迄の、上りの急坂を息せきながら進み峠手前付近の木陰で遅れた後続を待つ列詰め休憩を、息を整えた後「朝風峠」を越えると視界が大きく開け眼下には、明日香の原風景「稲渕の棚田」が広がり、ここから「案山子ロード」が始まりました。
今年のテーマは「思わず笑顔になる案山子」で、ジャンボ案山子はNHKでおなじみの「チコちゃんに叱られる」の「チコちゃん」で、一般展示作品の村長賞となった「元気のでるおにぎりを作ったよ」や優秀賞の「新元号発表」・「若棚田とはっけよい」等々の43点の案山子が展示され、それぞれ工夫され、テーマに沿ったユニークな案山子を一点一点楽しく覗き見しながら「案山子ロード」を下り進み「稲渕・男綱」を経て、新しく整備された休憩所で後続が到着するまで休憩しました。
アンカーの到着を待って、両側に棚田が広がる農免道路を暫く下り、途中から、上りの緩やかな道路を北へ進む中、たわわに実った黄金色の稲穂が目につきますが、期待の「彼岸花」がちらほら咲きで、残念ながら今年の夏は酷暑が続き、その影響で「彼岸花」の開花が遅れ、この時期、例年なら鮮やかに咲く「彼岸花」が見られない棚田の景色を眺望しながら、遊歩道に入り樹木に覆われた「飛鳥歴史公園祝戸地区」を経て、12時頃「石舞台古墳地区」に入り昼食休憩を摂りました。

整備された公園内の思い思いの場所で昼食を済ませ、午後は12時45分スタート、祝戸地区の山裾の狭い遊歩道から多くのビニールハウスや黄金色に稲穂が実る中を巡りながら橘地区に入り、聖徳太子生誕地の「橘寺」を経て、遠く金剛・葛城の山々を望み、田圃の畦に所々咲く「彼岸花」を愛でながら、川原地区内の遊歩道を西へ進み、明日香村観光のシンボルとなっている「亀石」を鑑賞しながら、さらに南へ緩やかな下りの県道209号の歩道を進み、野口地区の高台に位置する「天武・持統天皇陵」へ、県道から幅広い40数段の緩やかな石畳の階段を上り、壬申の乱(672年)に勝利し、古代律令国家体制の基礎を築いた「天武天皇」と、その皇后で次に即位し、天皇としてはじめて火葬された「持統天皇」が合葬されている御陵「檜隅大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」に拝礼し、陵を過ぎて高台の遊歩道を進む間もなく、鬼が付近を通る旅人を俎の上で料理し、雪隠で用を足したとの伝説がある「鬼の俎・雪隠」を経て、斉明天皇の母で、欽明天皇の孫でもある「吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)」へ、墓内には、近くの水田から掘り出され、その形から「猿石」と呼ばれる四体の石造物がここに置かれていました。
その墓から北側に位置する、陵名が「檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)」で、周濠をめぐらした、全長約138mの前方後円墳の「欽明天皇陵」へ、拝礼の後、陵から石畳の階段を下り進み、狭い一般道を北へ約800m進み13時50分頃、近鉄・岡寺駅にゴールしました。