新年あけましておめでとうございます、会員を始め皆様方には良い年をお迎えのことと存じます。
本年最初の例会は、恒例の「新春初詣ウオーク」を開催、237名の多くの参加者を迎え、おもてなしの甘酒で冷えた体を温めていただき、恒例の出発式を終え出発に際し、最初に訪れる「率川(いさがわ)神社」は参加者全員が一堂に会して「お祓い」を受けることが難しいことから、2班に別れ、先発の約半数は10時05分頃、後発は約10分遅れてスタートしました。
JR奈良駅前から多くの通行者が行き交う三条通りを東へ、上三条交差点を右折して「やすらぎの道」を南へ進みスタートから10数分で神社に到着、宮司様より「厄除け・開運」のご祈祷、お祓いを受けました。
当神社は奈良市最古の神社で、御祭神の「媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)」は、初代神武天皇の皇后様で、三棟の本殿の左側には父神の「狭井大神(さいのおおかみ)」、右側には母神の「玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)」が、中央に祀られている、お子様の「媛蹈鞴五十鈴姫」を両親が寄り沿うようにお守りする姿で鎮座されていることから、古くより「子守明神」として知られています。

お祓い、参拝の後、参加者は合流し神社を後に、長蛇の列は足取りも軽やかに「やすらぎの道」を南へ進み、歴史的町並みが残る旧市街地の「ならまち」の狭い道に入り、奈良時代の貴族で右大臣藤原豊成の邸宅跡に建つお寺「徳融寺(とくゆうじ)」へ、藤原豊成は当麻曼荼羅を織ったと言われる中将姫の父で、中将姫はこの地で生まれ育ったとの伝説があり、境内の墓地に豊成と中将姫を祀った二基の石塔が、それ等を見て回り、「徳融寺」を後にして、狭い路地を更に進み、ひときわ目立つ朱色の大きな鳥居をくぐって、古くから「ごりょうさん」と親しまれている「御霊神社」に参拝し、長く離れた列は、世界遺産の「元興寺」前から北へ進み猿沢池畔の公衆トイレがある広場へ、ここで、列詰め休憩を取りました。
アンカーの到着後、三条通から春日大社「一の鳥居」をくぐり浅茅ヶ原園地に進み「鶯池」に11時40分頃到着、水面に映る「浮見堂」や遠くは高円山・春日原生林を望みながら、穏やかな陽だまりの中で昼食休憩を摂りました。

午後は12時20分スタート、「鶯池」を暫く南へ進み高畑町の高台に鎮座する「天神社」へ、祭神の「少彦名命(すくなひこなのみこと)」と「菅原道真公」が祀られ、参拝の後、境内南側の高台から、眼下に広がる奈良市街地の景色を望みながら「天神社」を後にして、長い列は春日山南側山麓の高畑町の閑静な住宅街の緩やかな上りが長く続く歩道を、前方に春日山や高円山を望みながら整然と進み「春日大社」に通じる「奥の院道」へ入り、鬱蒼と茂った春日山原始林内の上りの坂道を少し息急きながら進み、暫くして春日大社境内の南側に鎮座されている「若宮15社」へ、最初に訪れたのは、万物の生気、命の根源をお守りくださる神様「紀伊神社」を初めとして、開運財運を守る神様「金龍神社」及び正しい知恵をお授け下さる神様「若宮神社」や、家内安全、延命長寿をお守りくださる神様等々の神社を、最後に、子孫繁栄等を守り下さる神様「三輪神社」を巡り「若宮15社」を後に、苔むした数多くの燈籠が両側に並ぶ参道を進み、初詣で混雑する「春日大社」で参拝を済ませ、「春日大社」を後に北へ、途中、「一言主神社」や「水谷神社」を経て、急な階段を上り進んで若草山山麓へ、右手に、枯れた芝生に覆われた若草山を望みながら、山麓の道から「手向山(たむけやま)八幡宮」境内を通り進んで、「三月堂」、「二月堂」を経て、「東大寺大仏殿」の南西側に進み、参拝等で大幅に遅れ離れ離れになった参加者を待つ、最後の列詰め及びトイレ休憩を取りました。

休憩後、戒壇院の南前から東大寺の境内を通り抜け、白壁の築地塀が続く静かな水門町から県道の登大路交差点を経て、県庁東交差点の地下道をくぐり大宮通りから多くの観光客で賑わう「興福寺」境内に入り進み、「興福寺東金堂・五重塔・南円堂」等を経て、ひときわ観光客でにぎわう三条通りを西に進み、JR奈良駅の南西に位置する「はぐくみセンター(奈良市保健所・教育総合センターの愛称)」に先頭は14時15分頃、アンカーは10数分遅れでゴールしました。
センターに入り、順次、「ワンカップ酒」を受け取り、お楽しみ抽選会会場へ、景品の「レジャーシート」を始めとして「手袋」・「ネックウオーマー」・「酒粕」・「そうめん」・「奈良漬」等々の景品を受け取り、参加者の皆様は三々五々帰途に着かれました。
今日は、天候にも恵まれ、新春の特別例会に多数ご参加いただきましてありがとう御座いました。
本年も、より充実した例会になりますよう、スタッフ一同精進してまいりますので、多くのご参加ご協力のほどよろしくお願いいたします。