今回の例会は、奈良県の北西部に位置する西和地区の内、安堵町、斑鳩町、河合町及び王寺町を訪れ、広がる長閑な田園地帯を歩み、神社、遺跡等を巡りました。
厚く垂れ込めた曇り空の下、JR大和小泉駅東側の「輝りの公園」に参加者144名を迎え、冷えた体をストレッチ体操でほぐし、9時40分頃元気にスタート、南方面に歩みを進め暫くして市街地を抜け、大和郡山市西部の椎木町地区の長閑な田園地帯へ、田んぼや畑の風景が広がる狭い道を長い列は進み、やがて安堵町に入り、「太子道」と「業平道」が交わる位置に鎮座する、聖徳太子にゆかりのある「広峯神社」へ、ご祭神は、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」で夫々に参拝、鳥居前には「業平姿見の井戸」と呼ばれている井戸があり、それらを見て神社を後にし、暫く太子道を南へ進み「トーク安堵町カルチャーセンター」へ、ここで、トイレ休憩を取りました。
休憩の後、西安堵地区の田園地帯へ、この頃から空模様も少し青空を垣間見ながら、田園風景が広がる中を、遠く矢田丘陵や信貴の山々を望みながら、西安堵地区内を西方面から北へ回り進み、JR大和路線のガードをくぐり暫く鉄道沿いを北に向かい「法隆寺国際高校」の周辺道路を回り進んで富雄川の西側に位置する「上宮(かみや)遺跡公園」に11時15分頃到着、少し早い時間でしたが、昼食休憩を摂りました。
この遺跡は、1991年に「ふるさと創生事業」の一環として公園建設された際に偶然発見されたもので、奈良時代の大型の堀立柱建物群跡などが発見され、聖徳太子が晩年過ごされた「飽波葦垣宮(あくなみあしがきのみや)」があった地とも言われ、その歴史にちなんだ公園です。

午後は、12時50分スタート、薄日が差す中、富雄川右岸の堤防道路を約1.4㎞南へ進み、富雄川と別れ西へ安堵町から斑鳩町に入り田畑に囲まれた中に建つ「斑鳩町文化振興センター(いかるがホール)」に入り、トイレと列詰め休憩を済ませ、暫く南へ進み目安地区の大和川堤防沿いに鎮座する「春日神社(斑鳩)」へ、この神社の、ご祭神は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」で、大和川の氾濫に苦しんだ人々がこの地に、「水安(ミズヤス)」の神を祀り安穏を祈ったとの事で、平安期に創建されたと考えられています。
神社を後にして、大和川右岸の堤防道路下の狭い道を約1㎞西に進み、大和川に架かる、斑鳩町と河合町を結ぶ「大城橋(だいじょうばし)」へ、この橋は、奈良県内で唯一の「沈下橋(沈み橋・潜水橋)」で、橋には欄干や手摺がなく、川が増水すると水面下に沈む橋で、高知県の四万十川の沈下橋が有名です。
地元の方は慣れているので車やバイクは楽々と渡りますが、参加者の皆様は、長さ約60m、幅約2mの橋を慎重に渡り進みました。
次に訪れたのは、河合町大輪田地区の小さな森の中に鎮座する「春日神社(河合)」で列詰め休憩を済ませ、大和川左岸沿いを西へ約1.2㎞進み、最後に訪れたのが、王寺町舟戸地区に鎮座する「舟戸神社」へ、ご祭神は「衝立船戸神(つえたてふなどのかみ)」と言われています。明治期には「久那戸神(くなどのかみ)」、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。
「久那戸神」は「道祖神(路傍の神様)」と同じで、道路や旅人を守る神で、大和川や当麻街道を行く人々を守る神です。
また、この地は、聖徳太子が建立した46ヶ寺の一つの西安寺の旧跡としても、注目されています。
その神社を後にして、船戸地区の住宅街を抜け、JR王寺駅に14時頃ゴールしました。
今日は、風が吹く、肌寒い一日でしたが参加者の皆様は、元気に「風に吹かれて」ウオークしていただきました、有り難う御座いました。