今回は、天理ダムから奈良盆地の東に連なる大和青垣の山並でひときわ高い龍王山(標高586m)に登り、山頂(南城跡)から眺める奈良盆地の絶景を楽しみました。
天理駅前に216名の多くの参加者を迎え、曇り空の中9時50分頃元気にスタート、長蛇の列は天理本通商店街から天理協会本部前を経て、布留山北西麓の高台に鎮座する、日本最古の神社の一つ「石上神宮」へ、トイレと参拝を済ませ順次参加者は先に進み、「石上神宮」の社叢(しゃそう・森)を抜け、暫く「山辺の道」を進み、布留川に架かる「布留の高橋」を渡り、山間の一般道に出て東へ、布留川沿いの集落が点在する一般道及び国道25号の上りが続く坂道を、前方に青垣の山々を望みながら、長くなった列はひたすら約3㎞進んで「天理ダム」下に、そこからヘヤピンカーブになっている更なる急坂を約800m上り進み「天理ダム」上に先頭は11時30分頃、アンカーは約20分遅れで到着しました。
布留川の上流に設けられた「天理ダム」は、洪水対策・上水道用水の供給などの目的で、昭和54年に完成した、重力式コンクリートダムで、堤高60.5m、堤長210mの奈良県初の多目的ダムです。
ダム南側に位置する「展望公園」で昼食休憩を済ませ、12時20分に午後のスタート。
ここから「龍王山」までの道を「天理ダムルート」と呼ばれ、藤井川沿いを走る県道・笠天理線の緩やかな上りの坂道を約1.5㎞進み、県道と別れ林道・藤井線に入り、更に上りが急となる長閑な林道の坂道を、長く離れた列は約2.2㎞進み、「龍王山」の南側ルートの「崇神ルート」と北側ルートの「長岳寺ルート」の合流地点に到着、ここでトイレ休憩を済ませ、順次、約500m先の山頂に向かって前進、林道から狭い山道や急な階段等を上り進みながら山頂に到着。
「南城跡」の山頂からの景色は、雲間から日が射して、大和三山が浮かぶ奈良盆地を一望し、遠く金剛・葛城山や二上山等々連山の眺望は絶景でした。
皆様は、苦労して登ってきた山頂の景色に疲れも吹っ飛び、暫し見入っていました。
また、条件が整えば大阪湾はもちろん、さらに遠く明石海峡大橋までをも望むことが出来るとのことですが、今日は残念ながら見ることは出来ませんでした。
因みに「龍王山城(りゅうおうんざんじょう)」は、中世城郭としては大和を代表する山城と言われています。城の範囲は「北城」と「南城」に分かれていて、天文(1532~1554)年間、橿原市の十市周辺を本拠としていた十市遠忠が拠を構え、別名、十市城と呼ばれました。
後には、松永久秀が入城しましたが、天正8(1580)年、織田信長が郡山城を除いて大和の諸城を廃したのに伴い、廃城となりました。
「南城跡」を後にし、再び合流地点に戻り、龍王山南側ルートの「崇神ルート」に入り、暫く、傾斜のややきつい階段を、その後、大小の石が浮き出ている足場が非常に悪い、急な下りの山道を慎重に約2㎞進み、平坦な舗装道へ、そこから、更に約1㎞進んで「山辺の道」合流地点の「崇神天皇陵」へ進みました。
尚、この南側ルートには、途中、龍王山古墳群があり、円墳と横穴墓(山の斜面に水平に穴を掘っただけの墓)が各300基以上、合わせて600基以上あると言われていますが、倒木等で山が荒れているところもあってか、又、下山するのに注意を払っていたためか、気付く方は少なかったと思われますが、数基の古墳しか見ることが出来ませんでした。
その後、周濠を含めた全長約360m、最大幅約230mの巨大な前方後円墳の「崇神天皇陵」の南側を進み、途中、「黒塚古墳」を右に見てJR柳本駅に先頭は15時30分頃、アンカーは約15分遅れでゴールしました。
健脚コース18㎞を、参加者の皆様は無事、元気に完歩されました、大変お疲れ様でした。